【いいね!ご紹介】パイニイが切り開いた道 その2

ベーカリーからOriginal Food へ

パンを売るだけのお店から新たな展開としてレストランやデリカテッセン(持ち帰り洋風総菜)そしてサロンとして使ってもらえるお店を目指した というのが前回のお話でした。今回はそのお店作りの具体的な話です。                                                                                                                        

現在のレストラン席 コロナ対応のために席数を減らしている 店奥の杉の木の壁タイルの内装は開業当時から

おしゃれでカジュアルなレストラン
パイニイ片瀬山店は開店当時片瀬山西鎌倉の青少年(たとえば私)にとっては憧れのお店でした。ファミリーレストラン(たとえば藤沢駅近くのスカイラーク)より上の新しい感じの店で、デート用にとっておくお店という感じでした。レストランでパンが食べ放題なのは魅力的でした。オープンキッチンというのも新しかったです。
ーー松野さん当時は確かにファミリーレストランもまだほとんどなかったですね。パンをおいしく食べてもらおうという事で、色々なメニューを試しました。ビーフシチュー、オニオンスープ、全部試作して、自作してました。そしてパンの食べ放題というのは、色々なパンを食べておいしいと思えば後でお店で買ってくれるので、販促のための試食という意味もありました。
現在はレストランはお休みしてカフェとして朝・昼だけの営業となっています。

9:00-11:00 モーニングセット700円
コーヒーまたは紅茶付
スペシャルセットは1000円
今年の夏のランチメニュー

全国からおいしいものを取り寄せて販売する 
パン以外のいろいろな文字通りの「Original Food」を販売されています開店当時からそうだったのですか?
ーー松野さん この地域ではいいもの、安心、安全にお客さんの関心が強いのです。今でこそ当たり前の産地直送、顔の見える食材 というのも3-40年前はごくわずかでした。それで当初からそうした産地の紹介をやっていました。例えば信州から牛肉の・・
それで思い出しました!リンゴ牛っていうのを扱っておられましたね?
ーー松野さん そう、よく覚えていてくれましたね。当時良い牛肉は関西の産地・市場を通さないと、高く売れなかったのです。良い牛を育ててもその産地の名前では低く見られてしまいます。土井勝さんという有名な料理研究家の方とご縁があって、信州大学の玉井 袈裟男先生を紹介していただき、先生が関わった信州の農産物を扱いました。それがリンゴの実で育てた信州牛、ここではリンゴ牛と言ってレストランでも使ってPRしました。信州では他に小谷(おたり)村の山菜、安曇野のワインとかを取り寄せて販売しました。その後も全国からの様々な食材を紹介しました。北海道東旭川のトマトは当時から続いて今でも扱ってます。お客さんが時期を知っていて待っていてくれます。
そうした産地直送の食材を扱うのは当時としてはとても先進的だったと思います
ーー松野さん 当時は信州で良いものが安く買えても、輸送が大変だったのです。その費用がかさんで大変でした。宅配便の普及で今ではすっかり当たり前になりましたが。あと、スパイス類もたくさん扱っていました。当時一般の店では売っていなかったからです。

1985年6月パイ二イ通信2号見開き面 産地直送品を主力にした贈り物カタログ 安曇野ワイン、スパイス、ジャム、信州味噌詰め合わせ等 配送無料でのお届け価格だった。

片瀬山・西鎌倉のお客さんに育てられた
このパイニイ通信というのはすごいですね。
ーー松野さん 初めのころに色々な事をやりました。そのひとつがお客さんとのコミュニケーションの場としてのパイ二イ通信とファミリーサークルという会員組織です。パイ二イ通信はB4サイズ4ページです。
ーー辺見さん Health&Beauty おいしく食べて、美しく なんて今風ですよね
ーー松野さん サロンのお知らせや土井勝さんも参加する食事会とか 色々なプレゼントとか ちょっと先取りしてるよね。ちょっと先過ぎるよな。

1985年6月パイ二イ通信2号 表紙 安曇野ワイン紹介
1985年4月パイ二イ通信1号 見開き面 お客様座談会

でも、色々試せたのも、それに反応してくださるこの地域、片瀬山・西鎌倉のお客様だからこそだったのは確かです。海外生活の長い方もたくさんいて、私たちよりよっぽど本物をご存じだった方がいて、そういう方からいろいろご意見を頂き、育てられたと思います。

その頃からのお付き合いというお客様がいらっしゃって、わずかな味の変化、食感の変化にも反応してご意見を頂きます。本当に舌の肥えたお客さんがたくさんいらっしゃいます。
ーー辺見さん一方で、初期の頃は片瀬山のお子さんたちが親御さん公認でたくさんアルバイトに来てくれました。当時はそういう娘さんたちを”お預かり”するという風に思っていました。

お惣菜(西鎌倉の惣菜専門店)を始めたのはどんなきっかけだったのですか?
ーー松野さん最初のきっかけは店頭でお客様が話をしていた事がきっかけです。「キャベツが使い切れなくてもったいない」「ちょっと一皿 という小口の惣菜が欲しい」という話があったのです。そうした話はすぐに私の耳に入ってきてました。それで2000年に惣菜の店を西鎌倉で始めてみました。普段の食卓の一品になる家庭料理のお惣菜です。もう長くやってますから時期ごとの定番人気メニューというのがあって、それを作ります。さらに新しいものも試作して自分たちで食べてみて、メニューを決めてます。西鎌倉のお店の裏にキッチンがあり、料理好きの主婦の方々(片瀬山の方もいます)が活躍してくれていて、70歳以上の方もいらっしゃいます。主婦の方たちだから日曜日はお休みにしないといけない。というわけで、20年以上前から月~土営業で日曜休みにしています。そんなやり方は当時は珍しかったですが。惣菜に限らず、女性が働きやすいのか男性社員よりずっと女性社員の方が多い会社です。皆さん長く勤めておられる方が多いです。
片瀬山・西鎌倉に多い高齢のご夫婦や独居の方にとっては、おいしいものを少しずつというお惣菜は、とても頼りになります。
ーー松野さんコロナでレストランをお休みして、打撃なんですけれども、パンとお惣菜が売れていて助かっています。
ーー辺見さん クロワッサンを使ったサンドイッチもはじめました。

最近新装なったお惣菜パイ二イ西鎌倉店 

とても先進的な事をされてきたのですが、これからについてはどんな事をお考えですか?
ーー松野さん 確かにこの店を開いた頃には、まだ世の中に多様なレストランやパン屋さんがなかった頃でしたから、新しい提案をする という事ができました。ただ、今はお客さんも多様化して、多種多様なパン屋さんがあります。その中で世の中の先を行く新しい提案というのは難しく、お客さんの声を聞きながら試行錯誤していくしかない というのが実感です。

レポーターの感想 お話を聞いて、40-50年前から時代の先を行く様々な取り組みをされていた事を改めて知りました。現在はパイ二イの経営は創業者の松野さんの長女の方が社長として後を継いでいます。パリに単身修行に行った三女の方、片瀬山店長の辺見さんなどと共にパイ二イのチャレンジ精神はしっかりと次世代に引き継がれているのを感じました。当時のお話を色々お聞きして、パイ二イが湘南地域の食文化に大きな影響を与えてきた事を改めて感じました。最後にパイ二イという名前の由来はお名前ですか?と聞いたら、松野さんは笑ってお答えになりませんでした。私はYesという意味だと思っています。
(Interviewed By S)