片瀬山駐在所 佐武さん ~「気づいたら警察官」そして片瀬山に着任するまで~
片瀬山に入る坂の登り口、左側に片瀬山駐在所。見慣れた風景ですが、そこで片瀬山住民の「安全と安心」を守り続けて24年目になる駐在所の警察官、佐武さんの仕事の内容と人となり、それを支える思いについて伺いました。
警察官への道 船乗りを断念し警察官に いきなり警視庁を直接訪問
ーーはじめに、佐武さんは子供の頃から「おまわりさん」になろうと思っていたのですか?または何かきっかけがあったのですか?
佐武さん:(すまなそうに)「気づいたら警察官になっていた」という感じなのです。私は神奈川県横浜市神奈川区の新町で生まれ、その後緑区へ転居して、そこに母親が今も暮らしています。商船大学だったので大学卒業後に半年間、帆船海王丸(船員教育用練習船)で遠洋航海実習に行きました。同級生の多くは船舶・海運関連に進路が決まっていたのですが、自分は家庭の事情があって船乗りを断念しました。父親に「警察官になれ」と言われていたのを思い出し、制服姿にも憧れていたので警察官になろうかと。さて警察官になるためにはどこに行けばよいのか分からないまま警察イコール警視庁と思って、いきなり桜田門にある警視庁(本庁)を直接訪問しました。そこで担当者から「神奈川県での勤務を希望するならば神奈川県警察で申し込みをしなさい」と教えられました。
ーー随分と大胆な行動をとられたのですね。
佐武さん:警察官になる為にはどうすれば良いのか全く分からなかったし、周りにも教えてくれる人はいなかったのです。それで改めて地元の警察署(神奈川県警)に願書を出しました。当時はバブル絶頂期のころで、船を降りた翌月に採用試験を受け、翌年1月からの採用が決まりました。試験対策もほぼ出来ていない状況だったのですが、今では、インターンシップやオープンキャンパス(警察学校)もあり、警察官になる為の専門学校までもあり、時代は変わったんですね。
ーー採用決定の次は警察学校があるのですよね。警察学校は短期養成(当時大学卒は8ヶ月間)なので厳しい訓練になると聞いていますが、佐武さんの警察学校での体験はどんな感じでしたか?
佐武さん:警察学校は全寮制で、警察官となる為の一般教養、法学、警察実務、術科と云われる柔剣道、逮捕術、機動隊の訓練、拳銃操法等初めて経験することが色々ありました。大学でスポーツをやっていたので体力面では辛くはなかったのですが、法学は自分にとっては難しく大変苦労しましたね。
片瀬山駐在所への道:交番勤務で気づいた警察官の原点
ーー平成2(1990)年1月に巡査拝命後、8ヶ月の警察学校を卒業し、片瀬山駐在所勤務までにどのような経験をされたのでしょうか?
佐武さん:警察学校を出ると、先ず交番で勤務することになります。自分の場合は、初めは伊勢原署で1年、次に神奈川署での機動隊兼務を1年、千葉成田空港に2年間出向しました。
その頃に迷いが起きて辞めようかなと思った時がありましてね。そんな中で「地域に根差す駐在所が警察官の原点」との思いに至ったんです。地域住民と関わり合いながらの生活に以前から憧れがあり、駐在所勤務を望んでいました。神奈川県警察に戻り、厚木署に勤務していた時、藤沢署の片瀬山駐在所と辻堂団地駐在所2か所の後任勤務員を探していることを聞いて希望したところ、縁あって平成9(1997)年3月28日、 片瀬山駐在所に着任することが出来ました。
ーー交番勤務から駐在所勤務へと望みが叶えられたのですね?
佐武さん:駐在所勤務は基本、家族と一緒に住むことが原則です。当時、自分はまだ独身(30歳)だったのですが、自分の強い思いが通じたのか希望を叶えてもらうことが出来ました。
ーーでは、奥様とのご結婚は片瀬山駐在所勤務になってからですか?
佐武さん:はい、他署で駐在所勤務をしていた先輩の紹介でした。自分は駐在所勤務が望みとか、既に犬も飼っている事など全部話をして了解してもらいました。妻には本当に感謝しています。
交番と駐在所の違い
ここで交番と駐在所の違いを話しておくと、交番は、原則複数の警察官の配置があり、24時間ごとの三交替制勤務をしています。藤沢署の場合も、藤沢駅南口交番や片瀬江の島交番などがそうで、大きな街であり、更に観光地ですから昼夜を問わず色々な事に対応しないといけません。
駐在所の場合は住居一体型で家族と一緒に住む事が原則です。現在藤沢市にある駐在所は片瀬山、江の島(島内)、辻堂団地の3ヵ所です。片瀬山駐在所は築30年以上なので住居部分は手狭ですが、最近建て替えられる駐在所は若い警察官家族にも希望者が出るよう改善されています。町の方々からは隣接署の駐在所が新しいので、比較されて、待遇が違いますねと言われます。(笑)
ーー次は駐在所での活躍の様子をお伝えします。