戦前から戦後の歴史が源流
その1、その2で藤沢市での「防犯灯」の現状とその管理方法を調べて、なぜ「防犯灯」なのか?なぜそれが自治会管理なのか?という謎が深まりました。
実は日本全国の多くの自治体では藤沢市の防犯灯マニュアルのような冊子が発行されている事が少し検索をしてみれば分かります。またほぼ同じ内容です。前回も触れましたが、自治体が自分でやる場合に比べてはるかに多くの手間をかけて「自治会・町内会による管理」+「費用負担は自治体」の体制を続けている事がわかります。なぜそのようなことが日本中で行われているのでしょうか?
話が大げさ かもしれませんが 実はこれには日本近代の歴史が関わってきます。話は戦前にさかのぼります。
戦前 街灯はほとんどが私設(町内会設置)だった
たとえば昭和初期の東京市内の街路灯の数の内訳は次のようになっていました。
昭和6年、東京市が設置した街灯は全体の10.4%にとどまり、残りは私設街灯という状況でした。そして東京中心部の道路でも半分街灯があればいいほうという調子だったので、夜道は本当に暗かったのです。日本では主要道路の街路灯は市設だったものの、普段民衆の生活で必要となる夜の生活道路の灯りは住民たちが自分達(町内会などでお金を集めて)で整備するものだったのです。欧州では街灯は権力の象徴として行政側が整備するのが普通だった点とは大きく異なります。(さらに詳しくは参考文献1→こちら)
戦後「防犯灯」という名前が定着した理由 そしてやはり「私設」(町内会設置)だった
戦前は「街灯」という言葉が一般的で、「防犯灯」という言葉はほとんど使われませんでした。
そして戦後になりました。防犯灯と町内会の関係の研究については高木鉦作さんという行政学者の方が知られています。この方が多くの資料によって明らかにした防犯灯と町内会についての著名な論文があります(高木鉦作 地方自治体と街路照明(上、中、下)雑誌 都市問題1962年3~5月号)。これによると、戦争の設備被災等もあって、戦後の日本の街は警察力も弱く、暗い夜道は危険でした。警察当局は、街灯の設置を引き続いて町内単位ですすめたいという思いがあったのですが、町内会が戦時に翼賛体制の末端組織になっていた事から、これはGHQによって解散させられて結成も禁止されました(昭和22年1947年政令15号)。その内容は下記の官報に記されています。最上段の中ほどからです。
このような経緯があり、困った警察とGHQの交渉の結果「防犯・防災目的の住民組織なら認める」という事になり、各地に「防犯協会」という住民組織ができました。この頃も住民の生活道路の街灯までにはお金は回ってきません。防犯協会の活動として住民たちの寄付で街灯が設置されました。だから「防犯灯」と言う名前であり、住民組織がボトムアップで持つ設備というのが原点になりました。サンフランシスコ講和条約後、東京都ではこの防犯協会等、元町内会の流れを汲む団体から町内会が復活するのですがそれは5年後昭和27年1952年の事でした。(参考文献2→こちら)
防犯灯増加で自治会・町内会の財政を圧迫 自治体が費用負担、管理町内会となる
戦後都市化が進み、より多くの防犯灯が必要になり、その設置費用と電気代が町内会財政の多くを占めるようになり、行政による公営化を多くの町内会が求めるようになりました。行政の下請け体質(町内会の活動は当時「寄付と衛生と街灯」と言われた)となっている事への反発もあり、防犯協会から脱退する町内会が出たり、町内会に入らない人が増えたりしました。そこで東京都では、1964年の東京オリンピックを前に防犯灯費用への予算投入を決め、かわりに町内会にはオリンピックを迎えるための「美しい町づくり運動」「街を明るくする運動」「新生活運動」等の、いわば官製の「運動」に参画してもらうという「取引」が行われ、防犯灯に投じられていた町内会の費用はこれらに関連する清掃活動費等に振り向けられるようになりました。(参考文献3→こちら)
下に示すのはオリンピック開催の1964年の東京都発行のオリンピックPR誌です。
その号の内容は都市環境の整備(上下水道・ごみ/し尿処理・道路整備・都市公害・公園整備・街灯を含む治安対策・河川浄化)及び都民の受け入れ意識を高めるための首都美化運動とオリンピック国民運動の話で埋まっています。(他の号も競技の話より環境整備の話の方が多い。)当時の東京都ひいては日本人がいかに「世界に恥ずかしくない町にしたい」「荒廃から復活した姿を世界に見せたい」という強い強い思いに満ちていたかが分かります。競技よりもこれを機会に街を整備したい というのが市民の願いだったのでしょう。私(レポーター)自身の子供の頃を思い出すと、今日日本が世界に誇る「清潔できちんとした街」になったのはこのオリンピックが境だったことを思い出します。そしてハードウェアの整備に加えてソフトウェアである住民の意識を高めるための活動の事例が同じ号に出ているこの記事です。
こうした市民のオリンピックに期待する市民の意識に乗って、防犯灯の自治体負担の流れは全国にひろがって行き、管理は自治会・町内会が行うが費用は自治体が負担する枠組みが一般的となりました。ただ、これは自治会・町内会と市(実際にはその関連団体)と工事業者がそれぞれに独自の管理情報を持ち、それぞれの間で書類とお金がやり取りされるという複雑な仕組みを前提にしたものになり、膨大な無駄を生んでいます。
一度決まると仕組みが変えられない日本の象徴?
戦後じきにできた仕組みと東京オリンピックの時代がルーツになっているのはわかったのですが、その後、多くの人が「なんと無駄な仕事をしているのか」を感じていながら、60年近く変わらないというのはどうしたものでしょうか。日本の停滞の象徴のような気がします。
そこで提案
最近藤沢市の公式アカウントでは「市民レポート」というメニューがあって、ここを押すと、市内各所での不具合について市民が通報するという仕組みがあります。
具体的には、道路、公園、不法投棄、落書き、河川、市営住宅 についての不具合を通報する事ができます。これは解決が確約されるものではありませんが、スピーディに通報できる大変良い仕組みだと思います。
例えば、道路を選ぶと、引き続いてこんな感じでさらに具体的な項目を選べます。
その上で、写真と位置情報をLINEで送る事ができます。解決の結果は毎年HPで公開されます。
最近は道路や下水道関係等多くの公共インフラの情報が公開されていますし、(⇒例えばふじさわキュンマップ)このような市民の通報の仕組みで防犯灯の故障の通報を行うようにして、市自身が管理運営をおこなえば、不必要な書類仕事を減らし同時に大幅なスピードアップができると思うのですが、いかがでしょうか?全関係者の仕事が楽になりますし、人手不足の中、管理と費用と対応が別々になっていることによる膨大な無駄が省けるというものです。
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今回(第3回)は以下の参考文献の論考を元に、その内容を裏付ける資料として当時の雑誌等の記事を示す事で構成しました。最後の市民レポートの利用については私レポーターの個人的な提案です。
参考文献1「防犯灯」の系譜学:近代日本の都市空間を照らした「明かりたち」の技術社会史
時間学研究第9巻 2015年12月 近森高明
参考文献2 月刊『自治総研』2023年4月 防犯灯の管理 武藤博己
参考文献3 1960年代前半における東京都町内会の自治意識とその包摂
─防犯灯問題から東京オリンピックへ─ 地域社会学会年報第26集
2014年5月 菱山宏輔
(Reported By S)