ボランティアによる介護・高齢者サービスのさきがけとして
前回は「給食会のはじまり」:藤沢市での平日の毎日の給食(「ほほえみ弁当」)の配達ボランティアと並行して、月二回の夕食のお弁当(「お楽しみ弁当」)を作ることになった経緯をご紹介しました。今回はその実行の舞台裏について伺いました。
必要な道具や設備を大至急整備
Q:月2回のお弁当の調理・盛付け・配達は、どこでどんな風におやりになったのですか?
A:片瀬山市民の家です。お鍋や炊飯器等の厨房道具はメンバーの持ち寄りの道具で始めたのですが、さすがに人数が増えてきて全く間に合わなくなりました。
また湯沸し室のガスコンロの口数が二つしかなくて、それでは足りません。冷蔵庫も必要です。そうした道具や設備類については、市・社協はとても協力して下さって、早々に揃えることができました。
皆さんにお配りする弁当箱も揃えました。使い捨て容器を使う という案もあったのですが、やはり捨ててしまうのは資源の無駄遣いと考えました。そのために、配達だけでなく翌日の回収とそれを洗うという作業が必要になりましたが、それでも最後まで続けました。

会議室も和室もフル活用
Q:具体的にはどんな手順でやっておられたのですか?
A:最初に当番の人(一応責任を持つ丁目が順番で決めてあるけど、他丁目もどんどん応援)が集まって献立会議をします。それで材料の買い出しをして、調理は湯沸し室と隣の小会議室で行いました。量が多いですから、机の上は材料で一杯になります。料理の上手な方が多かったので、段取りよく調理は進みまして、出来上がっていきます。今度はそれを和室の方に運んで、弁当箱を並べて(60個)消毒し、手分けしてどんどん盛り付けていきますので、それは壮観でした。作ってすぐに配達し、翌日の回収、容器の洗いなども分担しておこないました。


Q:そういう感じでいつ頃から月2回の提供ができたのですか?
A:市のお弁当が平成元年10月頃開始だったと思いますが、給食会のお弁当はその2年後平成3年秋にはスタートして、その後人数が増えるとともに並行して設備類が整っていった という感じです。ご利用者からは500円/一食を頂きました。
Q:ボランティアでやるにはすごい取り組みだったと思います。
A:やっぱり若かったので馬力があったんでしょうね。
Q:ところで、この会は普段は「給食会」と言われていたようですが、正しい名前は何だったのでしょうか?
A:正式名称は「片瀬山老人給食協力員の会」でした。これは藤沢市の老人給食「ほほえみ弁当」の配達に協力するメンバーの会という所から出発したからです。
Q:気を付けたこと、心を込めたことというとどんなことでしょうか?
A:やはりなんといっても、安全なものをお届けしなくてはいけないということで、消毒や材料の管理に気を付けていました。もちろん毎年検便も受けていました。
また、初期の頃は調理師免許を持った方もおられて、おいしいそして美しいお弁当になるように心を込めて工夫して作っていました。それぞれができる時に少しずつでも、人のため社会のために参加することができたので、充実した日々でした。
◆当時の利用者の方のご家族にお聞きしました (Q:編集部 A:ご利用者の方のご家族)
美しさ、季節感、健康への配慮、もちろんおいしい。配ってくれる人との会話も楽しみ
Q:男性のご家族の方が利用されていたのですね?
A:はい。私は普段昼間は不在だったので、お願いしていました。
とてもきれいに丁寧に盛り付けられていて美しく、お弁当箱のふたを開けるのが楽しみだったいう記憶があります。うす味で高齢者に配慮されているのがわかりました。三月のひな祭りの時にはちらし寿司の錦糸卵がきれいでした。クリスマスには星形のクッキーが付いてきたり季節感を大事にされていました。味はもちろんおいしく頂いておりました。本当に心がこもっていました。配って下さっていたのはYさんです。(男性)
Q:男性同士だとお話もされたのでは?
A:はい。ゴルフの話も出たりして本人はそれも楽しみにしていました。
かなり長期にわたってお願いしていたので、大変助かり、本人も楽しかったと思います。
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お弁当に込めた「心」はちゃんと利用者さんに届いていたのがわかります。
次回ではこの活動がなぜ長く続けることができたのか?を聞いてみました。