【はじまりを探して】片瀬山給食会の20年 その3

思い出すのは楽しいことばかり!

前回前々回ではこの給食会がどのように始まり運営されていたか、そして込めた心が確かに伝わっていた事をお聞きしました。
今回はどうして平成3年から24年までの長きにわたりこの活動が続けられたのか、その秘密をお聞きしたいと思います。

続いた理由は?各方面からの支援と協力、メンバー、人との出会い・・・
Q:いくら分担していたとはいえ、こうした活動を20年続ける というのはものすごく大変で、続いた理由は何だったと思いますか?
A:そうですね・・。まずは
・多くの方たちの協力があったからです。市や社会福祉協議会(社協)の協力がなければ、スタートできなかったです。片瀬山連合自治会からも補助金を年8万円いただいてましたし、ご利用者から毎食500円支払っていただきました。市民の家も優先的に使わせていただきました。
・メンバーに恵まれたということも大きいです。まだ共働き家庭が多い時代ではなく、子供達が手を離れたタイミングの若いお母さんたちが奉仕の精神で沢山参加してくれました。
・中心人物となる優れた方がおられました。Wさんという方で2年前に亡くなられましたが、「責任は私が持ちますから皆さんやってください」と任せてくれました。今、私が色々な活動をしていられるのも、この方との出会いのおかげです。
でも一番大事なのは楽しかったから

左 湯沸し室隣の小会議室で皆さんで集合2000年頃 右 みんなで旅行にも行きました1999年頃

・楽しかったからです。苦しいというのではなかったからですね。楽しく社会貢献ができました。その充実感がとても大きかったのです。
・この活動は試食付料理教室みたいなもので、料理を教えている先生もいたし、それぞれが得意な事で貢献できました。
・メンバーとのつながりも楽しかったです。
親睦旅行も年1回行きました。ハワイ旅行にも行きました。ちょっと調味料が足らないなら、ご近所のSさん宅に借りに行ったり。

左2006年新年会 右2007年みんなで旅行

ご利用者さんとのつながりも感じられました。
利用者さんの方との会食会年に1回開催していました。その席ではとても好意的で感謝と応援の声を頂くことができました。

長い間には大失敗も
Q:長い間に印象に残っている事はどんなことですか?
A:色々な事がありましたが、一番なのは、「お弁当が届いたが、お弁当の主菜が入ってない」という連絡があって、我が家のその日の主菜をお届けしたということがありました。この時ばかりは、本当にあわてました。あれほど何人もの目で確認して盛り付けしているのに、そういうこともありました。

自治会への活動報告書には細かい活動内容が残っている
片瀬山連合自治会の資料として、何年か分の自治会への活動報告書が残っています。平成13年度(2001年度)の活動報告書と会計資料をここに示します。活躍の様子が具体的にわかります。

連合自治会への活動報告書平成13年度(2001年度)これによれば、
・藤沢市老人給食(ほほえみ弁当は平日昼前に10~15食程度/日を配っていた事がわかる
・会による手作り弁当による給食(お楽しみ弁当)は60食/日を当日昼から夕方までの間に一気に調理~配達まであっていたことが分かる。


各所から評価されました

Q:これだけのことをされていれば、各方面から表彰されたりしたのではないですか?
A:はい、たとえば日本善行会という所から表彰されて盾ももらいました。
 (平成17年2005年) その他にもいくつかあります。

この時の表彰式は明治神宮で行われました

Q:そしていよいよ平成24年春に終了することにしたそうですが、その頃はどんな感じだったのですか?
A:やはり 世の中に宅配弁当が増えて来て役割を終えたという感じを持ったことです。
皆さん大いに納得して頂きました。 
 また、共働きの方が増えてなかなか新しい方にバトンを引き継ぐことができない感じがしたこともあります。終了を決めて、道具類はお譲りしたり、売ったりして手許に残ったわずかなお金は新聞社に寄付しました。

平成24年春 終了時 片瀬山連合自治会からの感謝状

志を継ぐ方もいらしたけど・・
その後、独居高齢者が健康な生活を維持して、社会的な孤立を避けるための「おとな食堂」を市民の家でやりたい という方がおられて、志を継いでくださる方が出てきたと本当にうれしかったです。コロナでそれも中断してしまい、残念でしたが・・。
そして、市の老人給食事業は平成30年(2018年)に終了したそうです。終了の時に、連合自治会から頂いたのがこの感謝状です。

給食会のなごりは今も・・
こうして、給食会は活動を終え、給食会の皆さんの活躍を知る方はもうあまりいらっしゃらないのですが、今でも片瀬山市民の家にはその直接のなごりを見ることができます。市民の家を訪れた際にご覧頂き、この記事を通じて給食会のことを思い出していただきたいと思います。

現在も残る「給食会」の痕跡 現在は電気が切られもの入れになって居る冷蔵庫に残る給食会の文字
あと裏口の駐車スペースにも「公用車及び給食会の車以外駐車禁止」という看板が残っています。

片瀬山のコミュニティを豊かにしようとした皆さんの活躍をここに残すことができて良かったです。今回の記事の執筆に際しては給食会のメンバーの皆さん、市社会福祉協議会、当時の利用者のご家族の方に大変お世話になりました。ありがとうございます。
(Reported By S)