【この人に聞く】夢をかなえて-アウスリーベ-その1

ドイツでお菓子職人になりたい!

毎回片瀬山・片瀬地域にお住まいの素敵な方にお話を聞く【この人に聞く】コーナー。今回ご紹介するのは、片瀬山4丁目にあるドイツ焼き菓子店アウスリーベのオーナー曽根愛(そね めぐみ)さんです。

今回はお店のご紹介とともに、「夢を叶えた」方のご紹介としてお話を伺いました。曽根さんは小学校の頃からお菓子職人になるのが夢でした。高校卒業後単身ドイツに渡り、7年半の間ドイツで職人としての腕を磨きました。そしてドイツ国家マイスターの資格を取得して帰国。さらに国内のお店で修行してスキルを磨き、独立して片瀬山に現在のお店をオープンしました。お菓子作りへのひたむきな情熱で子供の頃の夢を叶えた曽根さんに、ドイツでの修行時代を中心にお話をしていただきました。

仕事場での曽根愛さん 後ろに掲げられているのが国家マイスター資格証


⚫︎日本と全く違うドイツの教育システム
 ドイツは小学校5年生で、進路を決めなければなりません。大学進学コース、職人を目指す職業訓練コース、技術士・看護士等を目指す専門学校コースの3タイプです。途中から進路を変えて大学に行ったり、職人になることもできます。私は高校を卒業しているので、ドイツで言えば大学進学コースですが、そこから職人コースへ移ったという扱いになり、中卒の子達と一緒のスタートになりました。


 今回の私も含めて職人コースの子達は中学を卒業したら、週に4日仕事して1日は地域の職業訓練学校へ通います。そこで国語.算数.社会と普通の一般教養に加え、それぞれの専門分野の授業が丸一日あります。ドイツやフランスは、16歳から物作りを始める場合が多いです。ヨーロッパが職人を育てるのが上手いのは、こうした日本と全く違う教育システムにありますね。
⚫︎日本の高校でおこなった準備
向こうに行くのにドイツ語がしゃべれることが条件だったので、日本での高校の3年間は同級生が塾に行っている間、私はドイツ語の学校に通いました。そこは仕事などでドイツへ行くのが前提な人達ばかりだったので、みんな必死でドイツ語を勉強していました。高校の部活は茶道部と華道部に入っていました。ドイツに行ったらきっと、日本の文化を聞かれるだろうと思ったんです。着物も持っていきました。浴衣ぐらいの簡単な着付けは覚えていきましたよ。ほんとは中学を卒業したらすぐにドイツに行きたかったんですが、兄が反対したんです。失敗して戻って来た時、中卒では困るだろから、高校は卒業してから行きなさいと言われました。高校の3年間はドイツ留学への準備期間に当てました。

曽根さん一家がドイツ人家族のお宅を訪ねた時の全員写真 愛さんは左から二番目 修行4年目頃

⚫︎夢を支えた︎ドイツ人家族との出会い
 子供の頃家族でマニラに住んでいた経験があり、その時にドイツ人の家族と知り合いになりました。子供の年齢が同じ位だったので、一緒に旅行したり遊んだりしました。マニラを離れてからも、その家族とはずっと交流がありました。ヨーロッパに来たいなら協力するよ!とずっと言ってくれていました。

その家族がドイツで、私のホストファミリーになってくれました。まだ未成年で行くので、身元引受人が必要なんです。留学の手続きの書類等は手伝うから、語学は勉強してきなさい!と言われたので、高校時代はドイツ語を一生懸命勉強しました。皆さんによく、なんでドイツなんですか?と聞かれますが、その家族のお陰で、ドイツがとても身近にあったんです。
●ホストファミリーでの生活が始まる
職業訓練校での授業が始まりました。ホストファミリーは、私がアジア人なので、学校でいじめられてないか、とても心配してくれました。幸い周りの子達も優しくて、黒板に書いた字を写し終わらないうちに消されてしまうことがよくありましたが、その度にノートを見せてくれました。でもその子は字の癖が強くて、何を書いてあるか読めないんです。そのうちに、読めるようになりましたけど(笑)

南ドイツ スイス国境に近いメスキルヒという街

⚫︎いきなりの独りぼっち
 ドイツに渡ってから、本当はホストファミリーの家の近くで働くはずだったのですが、見つかったお店はホストファミリーの家から通えないところでした。最初の1ヶ月でホストファミリーの元を離れて、日本人が誰もいない、英語も通じないメスキルヒ(Meßkirch)という街で暮らす事になりました。そこは方言が強いので、最初は通訳してもらわないと、何を言ってるかわからなかったです。

次回は独りぼっちで始まった修行を続け、マイスター国家資格を取得。帰国してお店を開くまでをお聞きします。