【調べてみた】片瀬山巨大バスケットゴールの謎 その3

静かに消えていく~小田急の運行を支えた基幹通信システム  

前回の記事で、この”巨大バスケットゴール”がマイクロ波の通信設備だったこと、それが昨年廃局になったことがわかりました。そこで手をつくしたところ、小田急のOBの方との連絡がつき、質問に対して様々な事を教えて頂くことができました。今回はその要点を私なりの解説も少し加えて記してみたいと思います。
Q:この通信システムは何に使われていたのでしょうか?
A:運行管理装置の回線、列車無線の回線、駅拠点と指令所間を結ぶ指令電話、社内電話回線・・等文字通り重要な通信を担う基幹通信の仕組みで、小田急の運行を支えていました。

小田急は沿線距離が長く、大規模な河川を渡る個所も多いことから、早くから有線のケーブルではなく、マイクロ波(SHF)無線での基幹通信の運用を始めました(1961年(昭和36年))。

解説:鉄道会社でどんな通信が行われているのか、一般的な内容を調べました(次表)
この表の上の「列車運行に欠かすことのできない通信設備」が、このシステムだったことが分かります。

鉄道における通信システム 通信ソサエティマガジンNo17  2011 

こうした通信設備は国土交通省令で鉄道事業者に義務づけられていて、高度な通信品質(確実に相手に通じる事)がいかなる条件下でも必要であり、多くの鉄道事業者が専用回線を用意しています。だから片瀬山でNTTの巨大な無線アンテナとは別に小田急専用の設備が隣り合って立っていたわけです。先ほどの回答では、この専用回線として小田急では早くから有線ではなくSHFでの通信路を用意していた という事がわかります。

Q:導入が始まって、昨年廃局になるまでの約60年間の間にどんな変遷を経たのでしょうか?
A:最後の基地局の構成(前回記事)に至るまでにはだいぶ変遷があります。
●新宿局⇔相模大野局 
最初は新宿無線局(参宮橋駅近く)⇔稲城市「連光寺反射板」⇔相模大野局とつないでいました。
1997年(平成9年)に新宿サザンタワービル屋上と相模大野駅屋上 の両方にアンテナをたてて、新宿局と相模大野局が直接つながるようになりました。当時の相模大野局のタワーがまだ相模大野駅構内に残っています。連光寺反射板は撤去され、その跡地は東京都連光寺給水場そばにある「みはらし公園(緑地)」になっています。

解説写真

左 相模大野駅全景 駅ビル屋上の新アンテナ
 駅構内拡大図 構内に残るSHFアンテナタワー
Google Earth
連光寺反射板と思われるもの
1984年10月の国土地理院航空写真

●小田原局⇔早雲山(箱根)局
小田原局⇔明神ヶ岳山頂反射板⇔早雲山(箱根)局  というルートがあり、鉄道以外の箱根芦ノ湖周辺の小田急グループ施設の電話回線も扱っていましたが、2001年(平成13年)にNTTの回線に切り替えられてルート自体が廃止されました。明神ヶ岳山頂反射板はハイキング愛好者には良く知られていました。建設にはヘリコプターで資材が運搬されたとの事です。早雲山局は早雲山駅近く現在のロープウェールートの直下にありました。
●拠点となった局の役割について
アンテナを設置した局(新宿、相模大野、藤沢、秦野、小田原、箱根)はマイクロ波(SHF)通信システムとして一列に並べた拠点であり、ここに社内電話の交換局を置くことで全社の電話網を構築していました。

Q:60年の間に通信の内容はどのように変わって役割を終えたのでしょうか?
A:大まかに言って以下のような流れです。
・昭和30年代後半 マイクロ波(SHF)による通信システムの設置
・昭和50年代 送信データのデジタル化(PCM:PulseCodeModulation通信) 
・昭和60年代 光ケーブル通信との並行運用開始
・平成以降 少しずつ主役の座を光ケーブルに譲る
 バックアップとしての運用増加
 光ケーブルのネットワーク化進展し、バックアップの役割減少
・令和5年3月末 全システムの廃局届
通信データがアナログ→デジタルにかわり→光ケーブルとの並行→バックアップ→廃止
と時代が流れて役割を終えた事がわかります。

Q:アンテナ・反射板は山の中や山頂にあり、行くのも大変ですからその維持管理は大変だったのではないでしょうか?

”巨大バスケットゴール”片瀬山の反射板 足元には金網が張り巡らされて侵入者を防いでいます。重要なインフラだったから当然ですね。錆びもなく丁寧なメンテナンスがされています。

A:本当に大変でした。年2~4回の点検をしました。
・錆びを防ぐ定期的な塗装作業
・鳥の巣、飛来物の除去作業
・アンテナについた雪の除去
→高所作業である上に、悪天候下での作業の場合もあり大変でした。また、
・回線の邪魔になる樹木の伐採や草刈り(←地主の許可が必要)
・標識柱の更新等の荷上作業
→これらは当時の新入社員の重要な任務でした。
・5~8月にかけて、回線が切れてしまう「フェージング」という現象に悩まされました。これは通信ルート上に山林や田畑が多く、水分の影響で空気中の密度に揺らぎが生じることで電波が不安定になることが原因です。
→回線が切れないように局舎の機器の前で待機しながら受信レベルを調整するなど苦労したそうです。


Q:今後については?
A:このマイクロ波(SHF)による通信設備は主に1970 ~80年代にかけて、小田急の重要な通信インフラとして機能し、その後のバックアップの役目も終えて廃止されました。来年度以降、関連設備の撤去を予定していると聞いています。ですからもうしばらくで見納めとなるでしょう。このような記録として残して頂けて、我々もうれしいです。
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取材後記 あのバスケットゴールは何だろう と思い調べ始めた時には、小田急の運行を支えた通信システムを詳しく知る事になろうとは、思いもしませんでした。ここにも多くの人たちが頑張って作り上げ、地道にバトンを受け継いだ「Project-X」があったのだろうと思いました。消えてしまう前に記事に残せて私もうれしかったです。
参考資料:
鉄道における通信システム 中村・川崎(鉄道総合技術研究所) 通信ソサエティマガジンNo17  2011 (ネットで検索できます)
小田急の通信設備 飯田稔(小田急電鉄電気部通信課長) 鉄道通信 1964年11月号
(国会図書館デジタルコレクション)
 (Reported By S)