【片瀬山の歴史】常立寺歴史散歩 その2

常立寺で見られる歴史的なもの

常立寺に伺った際に、住職の服部さんが本堂内を案内して下さいました。ご本尊は遠景で というリクエストを頂きましたので、外からかすかにご本尊のお姿が垣間見える写真をご紹介します。

ご本尊は 一塔両尊(三宝尊)

常立寺で見る事のできるいくつかの歴史的なものがあり、それをご紹介しましょう。
元使塚
最近常立寺でよく知られているのはモンゴルとの交流です。鎌倉時代の元寇のさ中、元からやってきた使節五名が龍ノ口で斬首された事件の舞台だからです。
この使節団の亡骸は常立寺(当時はまだ利生寺)境内の誰姿森(たがすのもり)に埋葬され、大小五つの五輪塔がおかれて供養がおこなわれていました。*1*5

小さめの手前の五輪塔が元使のものと言われていた いまは元使塚(碑)の前にあります(昭和45年頃藤沢市史の編集時に撮影されたもの 藤沢市文書館蔵)

国と国の争いに翻弄された元使の悲劇的な経緯を年表にして下に示します。彼らはモンゴル人ウイグル人、中国人を含む当時のグローバルな外交官たちであり、文永の役の後とはいえ、異国の地で迎えたまさかの運命をどう受け止めたのでしょうか。

話は一気に大正時代になります。
大正13年(1923年)関東大震災の後、道路整備のために先ほどの元使の五輪塔の改葬をすることになり、ちょうどその命日の650年後にあたる大正14年(1925年)9月7日に当時の住職磯野日精上人により大きな法要が営まれ、その際に建立されたのが今、建っている立派な元使塚(碑)*4です。

この法要には日蓮宗管長大僧正磯野日筵師が大導師となり、多くの寺院が参加しました。


さらに尾野實信陸軍大将の追弔講演、中華民国代理公使等の出席も得たとの事です*2。
さらにそれから10年後の昭和10年(1935年)にも大きな法要が行われました。日蓮宗管長望月日謙師を導師として行われ、主な出席者は廣田弘毅元首相、満州国大使代理、中華民国駐日弁事所長、蒙古弁事所長シャキストン氏等でした*3。当時の世相がわかる出席者ですね。

大正14年に建てられた元使塚 その前にある小さな五輪塔が昔からのものと言われています。青い布はモンゴルでは英雄を意味する色として使われる

モンゴルとのつながりは今も続く
さらにその約70年後平成15年(2003年)9月7日ジャラガラル駐日モンゴル大使がこの元使塚を訪問しました。この時大使は「これは我々の大先輩、初代の大使の墓であり、日本に赴任したら真っ先に来なければならない場所である」と言われ、以後大使館の大事な行事として引き継がれるようになりました。*4
平成19年(2007年)には来日したエンフバヤル大統領も参拝されました。また大相撲藤沢場所の際にはモンゴル力士が常立寺を訪問して参拝しています。今年2024年4月にも横綱・照ノ富士、大関・霧島、豊昇龍らモンゴル力士団が墓参しました。

大統領夫妻の参拝の様子(常立寺に展示されている写真)
中央のお二人が大統領夫妻 左 当時の常立寺住職

三十番神像:仏教のお寺に神様が祀られているわけ
服部さんが特に案内して下さったのが三十番神像です。
本堂の左に三十の日本の神々の像が並んでいます。
諏訪大明神、伊勢大明神、天照皇太神、春日大明神・・・あれ?!お寺にこんなに沢山日本の神様が勢ぞろいしているなんて、と驚きます。
三十番神信仰というのは天台宗/日蓮宗での信仰で、特に日蓮宗では重視されています。平安時代初期、天台宗の円仁(慈覚大師 最澄の弟子)が比叡山に籠り、一字三礼の儀礼をして三年がかりで法華経の写経を行いました。この法華経を安置した比叡山のお堂を守護するために、日本中の主要な神々三十を勧請して祀ったのがはじまりと伝えられています。日本独特の神仏習合の考え方で、日本での布教のために取り入れられた考え方と言えます。鎌倉時代にさかんに信仰されました。
日豪上人が常立寺を日蓮宗の寺に改宗した際に誰姿森(たがすのもり)に番神堂を建立したと新編相模国風土記稿にあり、当時から常立寺にはこうしたお堂があったことが分かります。今常立寺に残っている像は江戸時代前期承応三年(1654年)に奉納されたものです。*5

三十番神を祀る祭壇 前に並んでいるのはモンゴル関係の写真です。

服部住職は、「明治以降実はこれを隠さなくてはならなくなったのですよ。これを調査してもらったら、今でもこれだけきれいに揃っているのは珍しい と言われました」と解説してくれました。明治政府は神道の国教化のために神仏分離令を出したために、三十番神は表だって拝めなくなったのでした。次回は教科書に載っていない隠れたエピソードのご紹介です。

参考文献(以下は4を除きいずれも国会図書館デジタルコレクションで読む事が可能です。4は通常の検索で見つかります)
*1鎌倉記54常立寺と元使塚 三浦勝男(鎌倉国宝館学芸員)在家仏教1968年11月号
*2考古学雑誌1925年10月号 (「新発見」として記事になったものです)
*3童馬山房夜話第3 斎藤茂吉 八雲書店 1946年昭和21年 
*4元使塚のはなし 都竹武年雄(つづくむねお)善隣2011年9月号 国際善隣協会 
*5藤沢市文化財調査報告書第18集 藤沢市教育委員会社会教育課編 1983年3月 
  写経をしたのが誰かという事については諸説あります。(最澄、日蓮・・)