【調べてみた】イトーヨーカドー・東急ハンズ界隈 その2

アイディアがわいてくるお店 東急ハンズ1976年 

単なるホームセンターではなく、クリエイティブな要素を強めた「手の復権」をコンセプトにした東急不動産内の「東急ハンズプロジェクト」が実験店舗として藤沢駅近くのCZ計画地区に目を付けたところまで前回ご紹介しました。(その1
1976年(昭和51年)11月東急ハンズ1号店は一足先に開店したイトーヨーカドー藤沢店の目の前、旧藤沢CZプロジェクト敷地の一部で開店にこぎつけました。

開業時の藤沢店「手の復権」を掲げた巨大なロゴの看板が入口横に立っている イトーヨーカドー方向からの写真 左上方向が東京電力前交差点 右方向が東急ドエル カインズのハンズホームページから

高校生の私も開店直後に訪れ、中は広々としていて、巨大な倉庫だったような記憶があります。
何か作ってみたくなる、あれに使えるんじゃないかな と考えてみるきっかけを与えてくれる材料が満ちあふれ、刺激的でした。あらゆる分野に及ぶ圧倒的な品ぞろえだったのです。当時は、そうした素材は「見た事はあるもののどこで売っているんだ?」というものばかりでした。当時出現し始めていた小規模のDIY店も金物屋・荒物屋(懐かしい言葉ですね)+材木屋の発展形という品揃えの所が大半でした。
家に帰って、こんなに面白いものを売っているよ と興奮して説明したものです。
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藤沢店はとても好評で、コンセプトは充分受け入れられるとプロジェクトメンバーは自信を深めます。そして翌年11月少し小ぶりの二子玉川店を開店し、本命の渋谷店に向けたコンセプトのBrushUpを行いました。

国土地理院航空写真1978年1月11日撮影 イトーヨーカドー藤沢店開店の4年後・東急ハンズ藤沢店開店の2年後の写真

そして、いよいよ本命の渋谷店がその翌年1978年(昭和53年)9月に、地下2階地上7階の旗艦店としてオープンします。アイテム数30万を誇る巨大なお店です。
渋谷店は大盛況となり、渋谷の人の流れが変わったと言われました。こうして東急ハンズの名前が全国に知られるようになります。
そして藤沢店も開店からわずか4年後に改めてその場所に建て直された4階建ての東急プラザの1,2階の店舗としてリニューアルオープンしました。

1978年リニューアル時の藤沢店の店内フロア構成  「東急ハンズの本」より 東急ハンズ編1986年8月刊
リニューアル前に比べて、HI分野の増強が図られていた。

東急ハンズが当時開拓した新たな取り組みについて少し深堀りしてみましょう。これらが今の様々なお店の形態の源流になっている事がわかります。
〇それまでは一般のお店に売っていなかった「素材」を扱った
どう使うかは買手に委ねられた「素材」が小分けにされて「商品」として並びました。買手が自由に創るための素材のお店の出現は、時代が変わったと感じさせました。
色々なサイズに切り分けられたアクリル板、ゴム板、竹ひご、色々なサイズの木の丸棒、金属棒等があり、ネジやボルトも数十個ずつビニール袋に小分けされて売られていました。発泡スチロールのブロック、メートル単位で買える素材もありました。木材等素材の切断等もお客さん自身ができるようになっていました。今のホームセンターの売り場の源流はここだと言えましょう。そしてありとあらゆるDIYやホビーの素材・道具・部品が揃っていました。ハンズという店名、「手の復権」というフレーズは C•I として名作だと思います。
〇生活の豊かさや個性を演出するという視点のモノを扱った
藤沢店から澁谷店に進化する間に強化されたのが、HI(Home Improvement)分野( 壁紙やじゅうたん等のインテリアや収納用品、キッチンやバストイレタリー用品)です。
今の様々な雑貨店、ホームセンターの収納・インテリア部門の売り場の源流となるコンセプトです。

建てかえられた東急プラザの1,2階に入っていた東急ハンズは2006年12月31日をもって閉店した。閉店後の写真 藤沢タウンニュースより

〇あらゆる品ぞろえ:販売する人が仕入れを行っていた
藤沢店開店当初は東急不動産出向社員6名とパートタイマー22名、そして準社員14名でスタートしました。この準社員という人達は専門技能を持つ中高年や定年退職者でした。
藤沢店開店の際にはこの準社員たちが全国の卸店を足を使って回り、「商品」を作っていきました。そしてそのまま店頭に立って接客をしたのです。

だから、あらゆる素材・道具・部品の完璧な品揃えを実現しつつ、お客さんの質問に答え、専門的なアドバイスをする事ができたのです。今までにない「商品」を「並べて」「売る」ためには、まったく新しいやり方が必要だったのです。
たとえば遠洋漁業の船員OBが無線機器のコーナー、花木の研究者が園芸コーナー、船舶模型の名人が模型用品担当等でした。5年以上の専門分野での実務経験が採用条件だったそうです。仕入れる人が販売する というポリシーは長くハンズで引き継がれました。
実は私も初めて東急ハンズで買い物した時に初老の店員さんが丁寧に相談に乗ってくれて詳しいアドバイスをしてくれ、その後「あの店は定年退職した専門家の人が店員をしている」という話を聞いてなるほど と思った記憶があります。
アイディアに詰まったら、とりあえず東急ハンズに行く という経験をした方は多いと思います。
日本のモノづくりやアートの現場を支えるお店がこの藤沢の一角から生まれたと言えます。きっと藤沢店の開業には、定年退職者の準社員の皆さんのプロジェクトXがあったのでしょう。
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その後 東急グループから離れる
全国に店舗を拡大していき、北は札幌、南は鹿児島まで広がりましたが、その発展途上で様々な業態の店が増えていき、少しずつ当初の強いコンセプトは薄まって行きました。
藤沢店、二子玉川店はいずれもすでに閉店し、対面での相談を通じた販売を重視していたことが裏目となり東急ハンズはコロナで大きな打撃を受けてしまいました。2022年3月から社名を「ハンズ」にして東急グループからホームセンターのカインズの傘下に移った事は多くの方がご存じと思います。
しかし、東急ハンズが開拓した「未来のお店」の形は全国にその子孫を広げています。
これからは少し間をおいてイトーヨーカドーとデニーズ等について取り上げます。

前回と今回の主要な参考文献
国会図書館デジタルコレクション内の検索で読むことができます。最近のものはNet検索で読む事ができます。
藤沢CZ計画について
・街づくり50年 東急不動産 1973
・東急グループのデベロッパー戦略 エムアイシー 1971
東急ハンズについて
・東急ハンズの本 東急ハンズ編 東急ハンズ 1986
・ハンズ現象 東急ハンズからモノ コト社会を読む 1986
・東急ハンズとその時代ー「手の復権」からカインズによる買収まで 加島 卓 2022
  新潮社Foreshigt https://www.fsight.jp/articles/-/48835
・エルダー:高齢者雇用の総合誌 1997年7月号 高齢・障害・求職者支援機構
図や写真は出典を示しました。
(Reported By S)

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