ヨーカドー藤沢店地下を水没させた水害とその克服の記憶
イトーヨーカドー藤沢店にまつわる記憶で忘れられない事は、1982年(昭和57年)におきた境川の氾濫にともなう藤沢駅周辺の水害です。イトーヨーカドーは地下の売り場及びさらにその下にあった電気室が水没してしまい、1か月あまり全店休業しました。頼りにしていたお店のお休みで大変不便だったのでよく覚えています。当時は片瀬山の身近を流れる境川や柏尾川の氾濫が何度かあって、水害は身近でした。
1982年(昭和57年)9月12日18時頃御前崎付近に上陸した台風18号は965mb(ミリバール:当時はこの単位だった)、最大風速35m/sでした。この台風は中部地方から関東甲信越そして東北を縦断して翌日には北海道に抜けました。各地に大雨をもたらし、大変な水害を各地に引き起こしました。(→気象庁「災害時気象速報」)
この台風の特徴は「都市水害」という言葉で語られる、広い範囲で都市部の中小河川が氾濫して大きな被害を出したことです。市街地やその近郊では水田が減り、地面がコンクリートや建物でおおわれるようになり、雨が地面に浸透しない(いわゆる保水力の低下)で河川に流れ込む割合が増え、いきなり短時間で水害に直結するということが目立ちはじめたのです。その代表格が境川でした。境川は町田、大和、横浜等の市街地や郊外を流れて藤沢市に至ります。支流の柏尾川が流れる戸塚・大船、本流境川の藤沢市俣野近く、藤沢駅周辺、片瀬のあたりはしばしば水害に悩まされました。(→「緑を奪われた都市河川」杉本 一 雑誌「河川」日本河川協会1982 10月号)。今日この傾向は一層強まり、東京都が地下神殿のような巨大な地下放水路を作って都市水害に備えているのはお聞きになった方もおられるでしょう。
下に示すのは、境川河川整備計画資料の中の、境川水系水害記録です。間近で最後に大きな被害が出たのが、この1982年(昭和57年)の台風18号による水害でした。
この台風によって、9月12日の夜から藤沢駅周辺は境川があふれ、市街地のビルの地下は軒並み浸水することになりました。特に被害が大きかったのがイトーヨーカドー藤沢店で、神奈川新聞は「藤沢駅南口周辺 大型店 ”ノックダウン”、台風18号で電気室浸水」と伝えています。ヨーカドーだけでなく多くのお店が長期休業を余儀なくされました。
この藤沢駅周辺でどのあたりが被害にあったのかは、詳しい記録が見つからなかったのですが、境川から水があふれたら、どこが被害を受けるのかは、現在の水害ハザードマップを見ればわかります。それによれば、柏尾川と境川の合流部付近、そして境川の西側部分は浸水リスクが高いことがわかります。藤沢市民会館、イトーヨーカドーはまさしくこのエリアにあるのです。
藤沢市民会館建替えプロジェクトが現在進んでいますが、そんな過去の歴史もあって、この地区の浸水対策がきちんとできる事がプロジェクトの重要な論点になっています。
実はその翌朝9月13日水位がまだ高い状態での片瀬山近くの境川(新屋敷橋:片瀬山の大阪を下りた所の橋)の様子がわかる写真が、市の文書館にありました。
イトーヨーカドーの被害が直接わかる写真は残ってなかったのですが、被害の再発に備えて作られた物が今に残っています。まずひとつは防潮板です。正面玄関前のエスカレータの下には写真に示すような収納箱に防潮板が備えられています。玄関両側にはいざという時に防潮板をはめ込むための金属柱が残っています。
そしてもうひとつが、以前のデニーズの窓の前、自転車置き場横に大きな囲いがありますが、この囲いの中には地下からの排気口があります。これは浸水時にここから水が流れ込んだために排気口を守るための囲いが作られたものと思います。(開店時の写真と比較するとわかります)
こうして水害の記憶は今もイトーヨーカドーの建物に残っているのでした。
しかし、さすがにいつまでも「水害が身近な状況」を放置するわけにはいきません。その後長い時間がかかりましたが、着々と治水対策が行われました。効果的だったと思われるのは、境川遊水地です。
湘南台駅の南東にこの遊水地があり、現在は境川遊水地公園として広々とした公園になっていていつでも訪れる事ができます。一旦境川が増水するとわざと低めに作った堤防があり、そこから水をあふれさせ、遊水地に溜めることで下流を守るという仕組みになっています。下の写真は境川遊水地の一部の俣野遊水地での2004年(平成16年)の台風による増水時の写真です。(「境川水系河川整備計画」より)
この公園事務所に行くと、増水の時にどのように活躍したのかよくわかる説明写真が並んでいます。
下記航空写真で見るといかに広大な場所なのか が分かります。境川遊水地は3つの遊水地でできています。
平成12年度から段階的に供用を開始し、平成26年3月にこの3つの遊水地は完成したのですが、平成の後半からは境川下流での水害はほぼ防ぐ事が出来ています。昭和57年(1982年)の水害から約30年かかったわけです。東京都、神奈川県、横浜市の合同プロジェクトの長い地道な努力のおかげなのですが、あまり知られていないのが残念です。
このおかげか、最近建てられた駅近くの民間のビルでは地下に駐車場等がありそうな建物でも、防水板等の備えがされてないように思います。その後もこの遊水地が何度か稼働しましたし、温暖化と共にリスクは高まっていると思います。いつか想定を超えた事がおこらないとも限りません。備えは必要だと思います。(Reported By S)
(今回の参考資料は文中や資料下に出典を記しました)