腰越の豆腐屋さん「鈴木豆腐店」をご存じでしょうか?老舗として知られているお店ですが、片瀬山に週2回、ラッパの音とともに車での直接販売に来てくれています。そこで少しおなじみになったご縁もあって、腰越の電車通りにあるお店を訪問しました。
お店は通りに面していて、江ノ電が前を通る時の「ごとんごとん」という音を聞きながらのインタビューになりました。通りに面した間口はあまり広くありませんが、奥に向かって豆腐作りの工場になっています。
老舗として知られているのですがいつ頃からのお店ですか?
—-鈴木さん 165年前からで、私で6代目です。この辺りは、前の方では魚が獲れる海、後ろの方は畑があって江戸時代後期からは、農家が納豆も作ったりしていて、その最後にいよいよ豆腐を作ったという感じです。私は昭和22年生まれの73歳です。ちょっと最近身体がきついんですよね。
豆腐屋さんというと朝が早いのでしょうか?
—-鈴木さん 朝はそんなに早くなくて5時くらいです。豆腐を製造して、今くらいの時間(午後2時)には一区切りついて、3時くらいから揚げ物をやって、夕方からは外に売りに出る という感じです。
そうこうしている間もお店にはお客さんがやってきて、奥様が冷蔵庫から商品を取り出して手渡ししています。
店頭には見える所に商品が並んでいないのですが、商品は冷蔵庫の中に沢山あります。おいしい食べ方等は詳しく説明してくれます。どんな商品があって、いくらなのかは店先の価格表に書かれています。
「これにこだわっています」というようなお勧め商品PRというのは?
—-鈴木さん 手揚げの油揚げは普通の倍の大豆を使っています。
あと、にがりを使う手造り木綿豆腐とかです。
この(値段表にある)健民豆腐というのは?実はこの豆腐が湯豆腐に良くて、お気にいりなんですけど・・
—-鈴木さん これは「健康国民豆腐」というのです。戦後生まれの豆腐です。戦前からの昔の豆腐はにがりを使う時に養分をかなり流してしまっていたんだけど、戦後、食料難等もあって大豆からできるだけタンパク質を取れないかというので、豆腐屋さんが皆で研究したやり方で作ったのが「健康国民豆腐」っていうのです。昭和30年頃になって、この呼び方が かっこ悪い というので、ソフト豆腐と言うようになったのだけれど、私は元の名前が良くてこうして売っているんです。今でも昔のやり方で作っている人はほとんどいないです。作るのがちょっと難しいので。
次回は片瀬山とのかかわりについて伺います