かつて片瀬山に江の島と富士山の絶景を楽しむホテルがあった
上の写真は1962年(昭和37年)4月9日午後、藤沢市を訪れたフロリダ州ファ―リス・ブライアント知事と金子小一郎藤沢市長が贈り物交換をしている様子です。後方の窓からは江の島と海、片瀬の町並みが見えています。これらはいずれも現在の片瀬山5丁目に相当する場所にあった「江之島観光ホテル」で撮影されたものです。この当時、様々な公式行事等がこのホテルで開かれ、富士山と江の島の絶景で有名で、多くの有名人も利用するホテルでした。
そして次の写真、このホテルのあったゴルフコース上から撮影された写真です。
しかしこのホテルは最初の写真が撮影されてからわずか4年後に解体され、その地は周辺のゴルフ場とともに片瀬山住宅地となっています。
今回は、このホテルの誕生から終焉までを辿ってみたいと思います。
ホテルはどこにあったのか?
このホテルは1955年(昭和30年)8月14日に誕生(開業)しました。同年4月にオープンした江之島ゴルフ場内の南端部分にあり、富士山、海、江の島が一望できる眺望最高の場所に建てられました。下図に現在の場所と正確に比較できるように同じ範囲の2枚の航空写真で、江之島観光ホテルの場所に+マークを付けて示しました。今その場所に当たる、白百合学園敷地北の片瀬山五丁目住宅地の場所に同様に+マークを付けておきました。
近代的な建物
このホテルのオーナーは兜町の相場師として知られた佐藤和三郎氏で、支配人はその長男佐藤昌英(まさつね)氏、副支配人堀馴次(じゅんじ)氏でした。このホテルは客室は17と大きくはないのですが、江之島ゴルフ場(同年4月オープン)のクラブハウスを兼ねた近代的な建物で、グリーンを廻る人のためのロッカールームや大浴場、ラウンジやレストランが充実していました。
この佐藤和三郎さんは小学校卒で株式市場で財を成した豪快な方で、以前「片瀬山販売パンフレット見つかるその2」で多少触れました。
当時最新のホテル建築の一つのモデルとして彰国社建築写真文庫 ホテル編 で取り上げられてもいます。その写真を紹介します。
コンクリート2階建てのリゾートホテル的なコンセプトであり、当時としては斬新で高級感のある建物だったのです。設計施工は大林組が手掛け、ロビーや食堂の家具調度類は特注で作る等高いステータスを目指していました。
いずれも江の島と海と富士山の絶景を窓から眺められる事ができました。
こうした写真からも、膨大な資金を投じた素晴らしい建物だった事が分かります。こうして誕生したホテルはその後、冒頭に示した写真のように国際観光都市藤沢の顔となっていくことになります。次回は誕生後ステータスを得ていく歩みをご紹介します。