【片瀬山の歴史】岩屋不動歴史散歩

岩屋不動の歴史は江戸時代の絵図に残っていた

読者の皆様は「岩屋不動」というところをご存じでしょうか?バス停にあるのは知っているけど・・という方も多いと思います。行ってみましょう! まず行き方から。片瀬山住宅地からは、片瀬中学西側校門→片瀬山五丁目を抜け片瀬に降りる階段を下りてすぐ左にあります。すごく近い! 旧江島道(川沿いの旧道)から行く場合は岩屋不動入口の立派な石碑がありますので、そこを東に入って谷戸の奥左手にあります。

片瀬山丘陵の谷戸の崖沿いに掘られた岩屋に不動像がおさめられています。

すぐ近くに行かないとそれとわからないひっそりとした「岩屋不動」です。片瀬山育ちの私も、バス停に「岩屋不動前」というのができて、初めてその存在を知ったのでした。(それまで藤ヶ谷の次は片瀬中学前だった)。

岩屋不動の入口階段 上って左手には建物があり、右手に碑がある 

階段を上って左には「巌不動尊」という看板のあるコンクリートの建物(その奥に不動像が安置されている洞がある)があり、建物と並んで右側に崖に穿たれた洞があります。

向かって左にある建物 この奥に大きな洞があり不動像がある。建物上には巌不動とある
建物の右横にある崖にある洞(手前と奥) 灯篭がたくさんある。

この建物の奥にある不動像は、照明がつかなくてうまく写真が撮れませんでしたので、藤沢市観光協会のプロの写真のリンクをこちらに張っておきます。フラッシュで撮影した私の写真では不動像の目が光っていたので、水晶が入っているのかもしれません。
一方、入口階段を上って右手にあるのは入口を示す石碑と記念碑です。

入口横の碑 「岩屋不動明王入口」「岩谷不動明王入口」と両方が書いてあり、さらに建物には 巌不動 という書いてあるので、岩屋、岩谷、巌どれもOKということでしょう
石籠山不動尊興隆記念碑 泉蔵寺法資僧正龍照書 とあって、裏には由来が書いてあるようですが、私には読めないので、別途書物にあたることにしましょう。

谷戸の奥に隠れるようにある不動さんはいつ頃からあるのでしょうか?かつては教育委員会の説明看板があったらしいのですが、今はなく、江戸時代かららしいとの事です。
まず江戸後期の資料を調べてみました。それが下の絵図です。今の富士見坂の階段を下りて片瀬山五丁目の下の方から岩屋不動に降りていく谷戸は「快祐谷」という名の谷戸だったことがわかります。今の片瀬山住宅地はこの地図では緑の山地として記されています。ここで快祐谷の左隣の大きな谷戸が、現在の片瀬中学へ登る道にあたる所で、右隣りの谷戸には泉蔵寺(片瀬小学校のあるあたり)であることがわかります。

今までにも何度か登場した地図です。矢印の所に快祐谷と明記されています。その左方に馬鞍橋、その左上に駒立山と大筒御鉄炮場所 とあります。また快祐谷の隣の谷戸に泉蔵寺(片瀬小学校の隣に現存しているお寺)が記されています。藤沢市文書館提供

さらに探してみると、「藤沢市史資料31」という藤沢市教育委員会発行の資料に明治43年頃に作成された地元の史跡を調べた資料*というのがあり、調査当時の様子を記した絵と調査内容がありました。ここでは巌谷となっています。

明治43年頃の調査*の際に書かれた当時の様子を示す絵 左が不動さんのある洞、右が今の2つの洞のうちのどちらかなのでしょうか?いずれにしてもとても素朴な姿です。国会図書館デジタルコレクションより
明治43年頃に行われた調査による報告*赤い囲み部分に注目 国会図書館デジタルコレクションより

この調査によれば(赤枠の中)
・弘法大師が開いたとされる
・元禄九年(1696年)快祐という僧がここに住まい、そこを「法生庵」と言った。そのためにこの谷を快祐谷というようになった。その後廃寺となった。
・その鐘は青蓮寺(手広にあるいわゆる鎖大師 不動明王をまつる)にある。
・今は泉蔵寺の支配下にある 
・不動像や洞の様子がその前段に書かれている。
という事がわかります。さきほどの絵図の快祐谷とある理由がわかりました。
そして、もう一枚、別の江戸後期の地図を見てみると、ありました、ありました。

江戸後期の別の片瀬村絵図 文献では法と書いてあるのがこの絵図の中では別の字(読みは ほう)があてられているが、確かにその読みの建物が記されています。藤沢市文書館提供

さらに、昭和16年に記された 浅野桜魂(江島神社)著「江之島・片瀬・腰越」という書物の中に、入口の記念碑の裏に記された内容も含めて経緯が記されていました。それによれば、
・僧 快祐が石籠山法教寺を作り、宝永二年(1705年)には川越大和守が大梵鐘を寄進した。
・快祐が延享甲子年(1744年頃)亡くなり廃寺となった後、別当として泉蔵寺が享和2年(1802年)に再興した。
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そうしたいきさつもあり、現在でもこの不動尊の管理は泉蔵寺が行っています。
今回の資料も 藤沢市文書館の資料検索国会図書館デジタルコレクション で調べる事ができます。歴史散歩をして、ちょっと調べてみると色々な事がわかります。国会図書館デジタルコレクションは一度身分証明の手続きをする必要がありますが、それをすればかなりの資料を調べる事ができます。(Reported By S)
*明治43年頃の調査:
明治末期に鎌倉郡が調べた「史跡勝地古墳取調書」という資料(現金沢文庫蔵)があって、それが藤沢市教育委員会の手で藤沢市史資料第三十一集という資料集に収録されたものです。