片瀬山住宅地の中央に位置する片瀬中学校。今の校舎の建つ敷地は片瀬山住宅地と同時に造成されました。実はそれ以前は駅近く、今の市民会館の所にあり、片瀬中学の片瀬山への移転(昭和42年4月)と同時に跡地に建つ市民会館(起工式同年3月)が着工されました。今回はその片瀬中学の昭和32年卒業生である1丁目の丸山さんに、在学中の思い出を書いていただきました。その頃の話が今にどのようにつながっているのか 大変興味深いです。→片瀬中学校の沿革年表
回想・片瀬中学校 丸山勝彦
海からの風が片瀬山に吹き寄せて来ると、風に乗って丘の上に建つ片瀬中学校から、授業の開始を知らせるチャイムの音が聞こえてくる。時には体育会が催されているのだろう、勇ましい行進曲や競技スタートの号砲と共に生徒たちの歓声がより大きく、うねりを伴って聞こえてくる。そんな時ふと自分の中学校生活を思い出す。
我々の年代が通った片瀬中学校は、現在の市民会館のあたりにあった。創立は1947年(昭和22年)、地番は藤沢市片瀬148番地、片瀬の北のはずれである。軍需工場だった東京螺子製作所(現ミネベア)用地で、校舎は木造平屋建てで同社の工員養成所に使われていた建物を利用したと文献にある。開校時の生徒数は220名、男子118名、女子102名、その後生徒数の増加に合わせて教室や付随する室の増築を重ねた。
第9回生(昭和32年卒)であった私の在校中は、平屋建木造校舎でかまぼこ兵舎の如く横並びの棟が幾つかあり、棟と棟を繋ぐ長い渡り廊下(棟間は簀子)が奥の方まで真っ直ぐに伸びていた。一学年だけでも、ひとクラス約52名が6クラスあり、生徒数の多さは当時の学区が片瀬小学校と村岡小学校からの合併編入の故であったのであろうか。
校舎周辺は運動場の先に片瀬川(境川)が流れており、川向こうに近藤牧場(現近藤牛乳)の放牧された乳牛達がのんびりと草を食んでいる光景が見え、土手には草花が生い茂り、川面には清らかな流れと共に水草がゆれ、校舎の北と南にはレンゲ畑の美しい水田や畑が広がり、かなり牧歌的な環境の中にあった。
校門前には県道を挟んで「小田文房具店」(現蕎麦処小田)があり、文具のみならず昼食の菓子パン(洲鼻通りの湘南堂製)を朝、登校前に申し込んでおくと、昼時に各教室に配ってくれた。カレーパン、揚げパン、アンドウナッツの美味しさが思い出される。通学には地域により江ノ電を利用した生徒も多く、石上駅で下車し駅前の砂地の丘を横切り、竹ザサの小道を通り抜けると、校門近くの通り(現467号線)に出た。石上駅近くにローラースケート場があって学校帰りに遊んだことも記憶の中にある。
さて、校内に戻ると正面玄関のある棟には校長室、職員室、図書室があり渡り廊下を挟んで教室があり、正面棟に平行して渡り廊下を幹に見立てると枝のように棟が続き、教室棟の他、保健室、用務員室棟があり、一番奥の棟には、音楽室、家庭科室があった。
棟と棟の中庭にはテニスやバスケットコートがあり部活生徒の練習風景が見受けられた授業の始まりや終わりには用務員さんが「ベル鐘」をカラン、カランと鳴らしながら渡り廊下を歩いて知らせてくれたものだ。授業は「スタディー」と呼ばれる学年の成績上位者約50名が特別クラスとして編成され、後の5クラスは一般クラス。特別クラスの中で成績が落ちると、他クラスの上位者と入れ替わる方式が採用されていた。
教師陣にも個性的な先生がおり、授業中に軍歌、旧制高等学校の寮歌を教えてくれた。なかでも「若鷲の歌」「嗚呼玉杯に」「紅もゆる」等は今もって時に口ずさめる。教師の渾名(あだな)付けも盛んに行われ、「ゴジラ」「ムジナ」「ドン亀」「お富さん」「ガチン」等と敬意と親近感を表した渾名は、教師の本名は忘れても卒業生の誰もが想い出と共に鮮明に残っている事であろう。
運動会の圧巻と云えば全校男子生徒による騎馬戦と棒倒しであった。グランドの土ぼこりを巻き上げて赤白双方数十の騎馬同士が号砲と共に卍巴に流れ込み騎乗のつぶし合う騎馬戦、赤白双方の生徒達が取り囲み支える3メートルはあろう丸太柱を倒し合う肉弾戦の棒倒しは、我々の時代でも全学年選抜リレーに次ぐ競技の花形であった。
当世少なくなった、組立体操大型ピラミッドの組みあがった後の倒れこみの痛さも、今は懐かしい。運動会終盤に行われた、全学年女子生徒による、グランド一杯に二重、三重の輪になって、藤沢市歌を踊る美しい姿は運動会に華を添えていた。再び、風に乗って聞こえてくる、片中体育会の成績発表のアナウンスと共に揚がる歓声とコンクリート校舎の窓に掲げられた点数表に時の流れを想う。
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・文中にある片瀬洲鼻通りの湘南堂は現在も片瀬中学校内で予約注文を受けて、パンを販売しています。
・本記事の執筆に際しては 片瀬中学校をはじめとする関係者のご協力を頂きました。感謝申し上げます。
・片瀬山・周辺について昔の事をご存じの方(戦争前後・造成時期・住宅地としての初期)にお話をお聞きしたり、寄稿して頂いたりしたいと思います。ご自身あるいはご紹介頂ける方についてご連絡を頂きたいと思います。連絡先はです。よろしくお願い申し上げます。(編集人)