【いいね!ご紹介】片瀬山理・美容室94年の物語 その1

片瀬山理・美容室を訪問しました。店主は渡邊登さんです。このお店は2009年から現在地(片瀬山駅近く)にありますが、ここに移転する前のお店が片瀬中学校への坂道の左側にありました。

実は取材者の私はそのお店ができた時(1979年:その頃はご両親で営業)から、お世話になっていました。久しぶりに高齢の父(こちらもかつてお世話になっていた)が散髪をしようという事になり、付き添いしつつお店に伺い、取材をお願いして快諾していただきました。車椅子に座ったままで店内に入れるようにご夫妻で手伝っていただきました。高齢者の方を対象にした無料送迎サービスがあります。詳しくはホームページをご覧ください。http://www.kataseyama.com/index.html

創業は94年前の東京・蒲田
ここ(店内)に掲げられている写真は昔のお店ですか?
ーー渡邊さん はい。実は私は3代目で初代は祖父が1926年(大正15年)東京・蒲田に理容室を開いたのが始まりです。

蒲田の創業店外観 ガラス扉のハイカラなお店でした
蒲田のBARBERワタナベの店内の様子

戦前の松竹蒲田撮影所のそば、亡くなった父が、その子供の頃にチャンバラの撮影や当時子役だった高峰秀子を見たことを自慢げに話していたのを思い出します。屋号は「BARBER ワタナベ」 当時としては「BARBER」のローマ字表記は珍しく、写真を見ていただいても分かるようにハイカラでモダンなお店だったようです。

そのお店が1945年(昭和20年)の東京大空襲で焼失してしまいました。何とか再建し、その後両親があとを継ぎました。蒲田にて53年営業後、幹線道路沿いにあったお店が道路拡張で土地を収用されることとなったため思い切って移転する事にしたのです。数か所移転候補地をめぐり片瀬山に来た時、明るくて空気もキレイ、そして富士山の絶景!すぐに決めたと父が言っておりました。

1979年(昭和54年)「ヘアーサロン サン」開業から店を引き継ぐまで

蒲田から片瀬山に移転し、坂道の途中にあったお店
左が理容室 右が美容室 現やまだ医院の左側建物

当時床屋さんはここしかなくて、私は主にお母さまに散髪してもらってました。当時は結構順番待ちをした記憶があります。
ーー渡邊さん 移転オープンしてすぐに大変繁盛させてもらいました。その頃私はまだ高校生で3人兄弟の末っ子。私の兄で長男はミュージシャン(2019年9月の西公園で開催された「片瀬山祭り」の催しではギターユニットで演奏させていただきました)、次男が美容師で両親の経営する理容室の隣に美容室を開業しました。

私は理容学校に行き卒業後、東京の理容室に住込み修行で腕を磨き、両親の理容室でも働いておりましたが、このまま職人としてこの業界しか知らない事に疑問を感じ、東京で一人暮らしをして異業種に飛び込むことにしました。当時まだ珍しかった宅配ピザ店にアルバイトとして入社、のちに店長に抜擢され3年間勤めて、次にアラスカ氷河の氷を輸入する商社で仕事をしました。美容師の兄が東京で美容室を開業する事となり、その後片瀬山の店を私が引き継ぐことになりました。この時「ヘアーサロン サン」という名前を「片瀬山理・美容室」に変更しました。片瀬山という地名も良い住宅地として知られるようになってきたからです。

2009年(平成21年)に坂の途中にあったお店を閉めて、片瀬山駅近くに移転されましたが、何かお考えがあったのでしょうか?
ーー渡邊さん 駐車場の利用が増えたからです。お客様の高齢化に伴い、歩いて来店してくれていたお客様が車でいらっしゃるようになり、店の前に路上駐車されたお客様が駐車違反の切符を切られてしまいまして駐車場のスペースは不可避と考えました。それで、モノレールの駅にも近く駐車場の台数がある程度確保できる所 という事で今の店に移転しました。
次回は時代にあわせたお店づくりのお話を伺います。