【この人に聞く】湘南堂のおばさん 片中・白百合とともに その2

湘南堂と片瀬中学(片中)とのかかわりは65年

湘南堂は片瀬の洲鼻通りにあります。隣は片瀬寫眞館。このあたりは老舗が並んでいます。

創業開店の日の写真。本日開店という文字が見える。右から読む看板と明治キャラメルののぼりが新鮮

湘南堂は今から84年前、昭和12年(1937年)に現在の場所に創業しました。当時は和菓子、洋菓子(ケーキ)、駄菓子も扱っていたそうです。

現在の湘南堂の店 電話番号は局番無しの4桁のみ に、歴史を感じます

片瀬中学と湘南堂のかかわりの最初は・・
このホームページの以前の記事 「回想 片瀬中学校」で、新制片瀬中学校が今の市民会館の場所に昭和22年にできた事、湘南堂のパンを学校前の小田文具店(現 小田蕎麦店)で注文して買った事を昭和32年卒業生の方が回想しています。おばさんはそれについて、「その後、交通量の多い道路を行き来する生徒がいて危険、という理由で校内販売を頼まれ、それが校内販売の始まりだったという話を義父母から聞きました」と語っています。

昭和41年(1966年)おばさんが2代目のご主人に嫁いだ時は、創業から30年近くたち、一度お店は建てかえられた頃でした。今のお店はほぼその頃のままです。「市役所、藤嶺学園(遊行寺横)、片中、他の工場等にもパンを納入していて、本当に忙しかったのよ。私は市役所担当だったの」

やわらかいビニール袋に包まれた昔のままのパン

その翌年、昭和42年(1967年)春に片中が片瀬山の今の敷地に移転しました。「引越の際には生徒も机・椅子を運んだそうよ。朝、私が注文を集めに行って、昼に主人が焼いたパンを届けるようになったの」

存続の危機
それから時は流れて25年後平成4年(1992年)湘南堂は存続の危機に見舞われます。ニ代目であるご主人が急に亡くなられたのです。

「主人が亡くなり分担ができなくなり、もう無理です、と片中に相談したら、教頭の I 先生が「何とかやめないでください。前日注文でいいですから」と言って下さり、それならできます。という事で頑張って今まで続けられているのよ」

手作りパンという手作り看板は片中卒業生の大工さんが改装の時に作ってくれた 右側の軽ワゴンはおばさんの愛用車 これで片中に行く

おばさんの次男が三代目として急遽あとを継ぐ事になり、東京や軽井沢に出店している有名なお店に修行に出ました。2年以上の厳しい修行を経て店に戻り、今は立派な三代目として毎日パンを焼いてくれています。「修行中の短い休暇に長野から帰ってきてくれた息子を大船駅で見送る時には涙が出たわね。」そして今、小田文具店の頃から数えて片中生が湘南堂のパンを食べるようになって65年になります。

次回はおばさんと片瀬中学や白百合の先生や生徒、卒業生たちとの交流についてです。