【はじまりを探して】片瀬山のお庭に梅の木が多い理由~片瀬山幼稚園ものがたり1

片瀬山幼稚園と梅の木のものがたり

早春のさびしい片瀬山住宅地のお庭に咲いてくれるのが梅の花です。6月になると今度は葉が繁って実をつけ、梅雨を感じさせてくれます。その頃には、やまかではたくさんの梅酒用リカーと氷砂糖が販売されます。
「それにしても梅の木が多いですよね?」長く住む方に話してみると、「片瀬山幼稚園の卒園記念で梅の木をくれたからだよ。」「えっ」・・・実は私(レポーター)の息子も片瀬山幼稚園のお世話になったのですが、梅の木はいただかなかったのです。調べてみました。

アジサイの咲く頃立派に繁る梅の木 こちらも卒園記念の梅です

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片瀬山幼稚園とは

片瀬山住宅地の開発の際(←住宅地造成の頃)、三井不動産が計画・建設し、今から半世紀も前になる1972年に開園したのがポーロニア学園片瀬山幼稚園です。そして2017年3月の卒園式を最後に閉園しました。この間約1700人が卒園し、卒園生はもちろん、保護者の方も懐かしい思い出がいっぱいの場所です(幼稚園園歌について)。今は新しい市民の家用地として樹木の一部を残して更地になっています。

開園当時の片瀬山幼稚園 正門から 遠藤 現さんご提供

保護者の方の記憶では・・
開園に近い頃の卒園生の保護者の方のお話では、「卒園式で、園長先生が描いた似顔絵やメッセージなどと一緒に、梅の苗木を記念樹として贈ってくれました。」「その木が成長して梅の実をつけています。」「それで梅酒をつけています」と、今でもそれらの梅の木は現役で活躍しています。

卒園生保護者の方の家の梅 繁った葉の間に実がなっており、それを漬けた梅酒です

はじめの頃は園長先生が育てた苗木だった
その後、開園当時やその後幼稚園に勤務されていた方々にお話を聞くことができ、この卒園式の梅について様々なことがわかりました。

「卒園記念として梅を贈ることは初代早川園長先生・2代目の杉山園長先生が始められました。」「園芸がご趣味だった杉山先生が、ご自分で育てた苗木を自宅から抱えて持ってきて卒園式で渡していました。」「杉山園長(1980年頃まで)退任後も毎年梅の木が贈られ続けました。」と思い出していただき、卒園生の方の証言が裏付けられました。さらに、2000年頃は梅の木の苗木は茨城県にある同じポーロニア学園の幼稚園にお願いして入手してもらっていたこと、白加賀という品種(東日本で多い品種 和歌山に次いで梅が栽培される群馬県で特に多い)だったことなど、その後の舞台裏の様子もわかりました。こうして長きにわたり沢山の卒園生のお宅で梅の木が大きくなっているのですから、片瀬山に梅の木が多いのも頷けます。

白加賀(シロカガ)梅の園芸品種図鑑より

贈られなくなったのはいつ頃?
21世紀を迎え、時代とともに環境が変わってきました。園バスが導入され片瀬山の外から通うこどもたちも増え、その中にはマンションに住むご家庭もあります。せっかくの梅の木も育てることができません。そうした保護者の声も多く聞かれるようになり、2004年か2005年頃梅の苗木のプレゼントは見直され、以降は別の記念品が贈られるようになったそうです。私の息子は終わりの頃の卒園生なので、梅の木の事は知らなかったのです。

今年も卒園生のいたご家庭の梅には梅の実が・・

毎年たくさんの梅を梅酒や梅干にして子供たちや親戚に配る方も多いでしょう

別の卒園生のお宅でも今年も卒園記念樹の梅の木に沢山の梅の実がなりました。収穫した梅、計8kg近くを半分は梅酒、半分は梅干しにしました。できあがるまであともう少しです。梅酒や梅干しを通して巣立ったお子さんが幼稚園に通った頃の事を思い出すご両親も多いのではないでしょうか。

園庭の梅の木で作った梅ジュースの味
また、かつての先生から、こんなお話も聞くことができました。園庭には5-6本の梅の木がありました。毎年沢山の実がなり、落ちている実を園児たちが拾って匂いを嗅いだり触ったりしていました。それを見たある先生の提案で、2000年頃に梅ジュース作りが始まり、プールの後やお泊り会で毎年飲まれるようになりました。夏になると、梅ジュースの味を懐かしく思う卒園生もいらっしゃるかもしれません。
今も残る園庭の梅の木
園庭に遊ぶ子供たちを見ていた梅の木が今でも1本、園庭跡の隅に残っています。春には花をつけ、6月には昔と同じように足もとには実が落ちていました。卒園生の皆さん、実家の梅の木、園庭跡の梅の木に会いにいってみませんか?

旧園庭跡の梅の花 2023年2月27日撮影
園庭跡の梅の木の根元には昔と同じように梅の実が落ちていました 2023年6月13日撮影

たくさんの方の取材協力をいただきました。ありがとうございます。(Reported By Y )