未来を作ったお店が集結した街の盛衰 前史
未来のお店が集まる街
皆さんご存じの通り、この掲示の出た閉店が年明けに迫ってきました。
イトーヨーカドー藤沢店は1974年(昭和49年)6月に現在の場所に開業しました。店の1階には日本第2号店のデニーズがありました。またこのヨーカドーの目の前の敷地には、ほどなく(2年後)東急ハンズの1号店が開店しました。高度成長期の終盤で、今から思えば毎日新しいモノやコト・サービスが出現していました。特に湘南地方、なかでもこの街区は新しいことが起こる中心地になっていました。
この後に続いたバブル崩壊、百貨店の衰退、そして失われた30年での総合スーパーの衰退を経てこの掲示を見ると、時代の流れを感じてしまいます。これから数回、藤沢のこの界隈で当時繰り広げられた「未来のお店をめぐる夢」を思い出してみようと思います。今回はこの街区がどうして新しいものが集まるようになったか?の前史の部分です。
東急グループの藤沢CZ計画の予定地だった
現在のイトーヨーカドーとその前の旧東急ハンズ・東急プラザ周辺の現在の写真をご覧ください。かつて東急ハンズと巨大な立体駐車場のあったあたり(イトーヨーカドーの向かい側の通りに面した所)はいずれもかなり高層のマンションとなっており、その後ろには中央部には公園やスポーツ施設がありそのまわりに東急ドエルという古い東急不動産の分譲マンション群が三角形の敷地に建っています。
ここで話は1967年(昭和42年)にさかのぼります。この年片瀬山では第1期の分譲の広告が主要紙に出され、販売開始されます。(→片瀬山造成の頃1、片瀬山販売パンフレット見つかる1)
同じ年、駅近の土地を高度利用してほしいという藤沢市の要請もあって、極めて先進的な郊外型高層集合住宅群を駅近のこの地に作ろうというプロジェクトがスタートしました。名前は藤沢CZ(コミュニティ・ゾーン)プロジェクトです。計画したのは渋沢栄一の田園都市株式会社を源流とし、当時から「街づくり」デベロッパーとしての社是と歴史のある東急グループ(不動産)です。居住エリアは24階~28階建ての今でいうタワーマンションを3棟750戸程度を想定していました。中央部は歩行者専用の緑地公園を設け、レストランや商業施設・医療施設を作り、パーキング専用のビルも設置するというものです。
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まずその第一歩として翌1968年5月にテストとして分譲販売を開始したのが10階建ての東急ドエルオークス(65戸)11月の東急ドエルフェニックス(170戸)です。東急不動産としては郊外型集合住宅(当時はマンションという言葉はほとんど使われなかった)分譲第1号となるものでした。当時集合住宅というのは公団アパート的な賃貸物件が多く、分譲型の集合住宅は多くありませんでした。同じ年1968年に霞が関ビル(36階)が竣工したばかりという時代に、駅近にタワーマンション群と公共施設等を含む新しい街を作る(今の武蔵小杉みたい)というのは極めて野心的でした。
区画整理事業の遅れと共にCZ計画は中止
しかし、この予定街区は土地区画整理事業の一部として藤沢市との連携で整備途中だったのですが、区画整理事業が大幅に遅れ、CZ計画は頓挫してしまいます。結局、残りの敷地には東急ドエルのマンション群(それでも当時としては他にくらべてずっと高層で大規模だった)が建設され、今に至っています。とはいえ、通りに面した一番良い区画の使い道の検討が続けられることになりました。
「東急ハンズプロジェクト」がこの場所に目を付ける
ちょうどこの頃、東急不動産内に渋谷公園通り裏手のL字型の土地(後の東急ハンズ渋谷店)を店舗としてうまく活用できないか?という30歳台メンバーが中心のプロジェクトが発足します。渋谷駅から遠く、人通りは少ないしL字型の敷地の形も使いにくいというので、ビジネスホテル案ファッションビル案等は消えていき、最終的には強い訴求力・ポリシーを持つ目的志向の店にするしかビジネスにならない という事になりました。プロジェクトメンバーが考えたのが、生活を豊かにするあらゆる素材・道具・パーツを集めた店を作る というものでした。当時はまだホームセンターという業態はなく、金物屋や荒物屋・・といったそれぞれの商品を扱う小さな商店から家庭用雑貨を買うのが一般的で、一方でDIY(Do It Youreself)の掛け声と共に、小規模なホームセンター風のお店が出始めた頃でした。
しかし、プロジェクトメンバーが目指したお店は単なる大きなホームセンターではありませんでした。生活上の必要に迫られて買う商品をならべる店ではなく、より強いコンセプトとして「自分の手で豊かな生活を創造するための素材の提供」を指向し、「手の復権」をうたい、東急ハンズという店名が決まりました。そして大規模な渋谷店を作る前に、コンセプトを確かめるための実験店舗を作ろうという話になり、目を付けたのが藤沢CZ計画の敷地だったのです。
次回は東急ハンズ1号店である藤沢店についてです。高校生の私が開店早々に入店した時の新鮮な衝撃を今でも覚えています。
参考文献は連載終了時にまとめて紹介します。