コミュニティ活動の拠点はこんなところ 片瀬山の歴史と共に
片瀬山に入る大きな坂を上った突きあたりにあるのが皆様おなじみの「片瀬山市民の家」です。
いつも見慣れているけど、実は行った事がない、あっても「自治会の集まりのための建物」くらいに思っている方も多いかもしれません。その実態や歴史については案外知られてないと思います。今回公式の情報ではあまり語られてない事を、紹介しようと思います。市民の家の生き字引と言われる「市民の家運営委員会」のSさん にお話を伺い、一部追加取材を加えてまとめてみました。施設内容や備品の説明、利用料金やコロナに関する注意など基本的な情報は本ホームページの のページ、あるいは片瀬山市民の家(運営委員会)ホームページをご覧下さい。
藤沢市の「市民の家」という制度は1975年に条例制定され、翌1976 年から設置が始まり、その第1陣として、1976 年4月に藤が岡、本鵠沼、そして5月に高倉、片瀬山に市民の家が設置されました。その後市内41か所に整備されました。これは基本的に小学校区に一つずつという目安です。
Sさんが古い記録を発掘して下さった資料によれば、1976年にいきなり建物ができたというわけではなく、その4年前1972年に若い市長の就任とともに片瀬山に建設委員会ができて自治会・民生委員・老人クラブ・幼稚園などから委員が出て、建設・運営の準備を進めました。これが後に住民たちによる運営委員会に発展します。1972年といえばまだ家も十分に建っていない頃なのですが、新天地に移ってきた住民の高い自治意識に支えられ、委員会の活動の結果として1976年、いよいよ「片瀬山市民の家」はスタートしました。それから45年、片瀬山住民の活動の舞台である「片瀬山市民の家」は現在も活発に利用されつつも、さすがに老朽化が問題になってきて建て替えの話が進んでいます。これについては後ほど触れます。
◆中はどうなっているのか?
中の配置図は上記のようになっています。2階は大会議室で、コロナ前は4-50人参加の会も開かれた大きな部屋です。自治会の多人数集まる会議(定例会等)はここで行われる事が多いです。あと、ヨガとか気功とかダンスとか「体を動かす」サークルもやはりここで開かれます。
1階はもう一つの会議室、和室2つと調理室、ちょっとした打ち合わせ用の談話室、窓口業務をおこなう事務室等があります。1階の会議室では以前ご紹介した麻雀サークルが開かれます。
◆片瀬山市民の家での活動は超活発
Sさんは「ここは古いながらも本当によく利用されているんです」と言いながら施設利用率の資料を見せてくれました。「市内では第2位なんですよ(単独の市民の家施設として 利用率約40%)。今年はコロナのために活動できないサークルがあってこれより低下しているんですけどね。いろんなサークルが36もあります」。
・サークル利用 78.6%
┗利用登録サークル数36(休止含)
そのほか地域団体 15.8%
自治会活動 5.6%
・利用者の9割は片瀬山住民
・光ファイバーでの
インターネット回線
・WiFi完備
36ものサークルがこの「片瀬山市民の家」を拠点に活動していますが、そのうちの12サークルが「わかやぎ会」(老人会)の中のサークルで、その一覧がわかやぎ会会報に掲載されています。また全活動サークルの連絡先などは市民の家の玄関に掲示されています。さらに、社会福祉協議会・CSW(コミュニティソーシャルワーカー)が関わる困りごと相談も月に何回か行われており、これについては に詳細を記してあります。
サークルに限らず、ちょっとした集まり等にも普段から使う事ができ、藤沢市民なら誰でも利用できます。基本は各部屋、予約しての利用ですが「談話室」は空いていれば予約なしでも利用できます。現在はコロナ禍ですので、コロナ対応の制限の元での活動となっています。
次回はこの「市民の家」がどのように支えられ、他市と大きく違う運用で、どう恵まれているのかをご説明します。
◆◆◆◆【始まりを探して】シリーズコンセプト
片瀬山ができて50年以上たちました。長い間に少しずつ整備されてきた施設・モノ(ハード)や仕組み・制度・活動(ソフト)等の始まりの時に、どんなことがあったのか、どんな思いがあったのか?今に残るモノ、資料、証言などを調べて伝えることで、その価値や将来について考えるシリーズにしたいと思います。ご期待ください。
【本シリーズからのお願い】片瀬山に関係する古い写真や資料をお持ちの方はお知らせください。例:片瀬山のパンフレット、周囲の様子がわかるスナップ写真、学校・幼稚園・プール・公園等の写真、バス等公共機関等の写真、当時の新聞記事、自治会の資料、卒業アルバム等古いものであればあるほどありがたいです。皆様のご協力をお願いいたします。
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