【始まりを探して】水を届ける その1 一番初めにできた施設 給水塔

あの白いタンク 給水塔って何しているの?

子供のころ「片瀬山って、あの白いタンクのあるところ?」とよく聞かれました。そのくらい遠くからも目立つのが3丁目にある通称「給水塔」です。いつも、そこにあるのが当たり前の存在で、水道水を貯めているのは知っているけど、それ以上の事はよく知らないですよね?

この給水塔は住宅地造成と同時に作られ、まだ電柱も建たない頃から住民のためのインフラとして一番最初に稼働し始めた記念すべき施設といえます。そして実はその何倍もの容量を持つ配水池が1丁目の高台の地下にあります。改めてこれらについて聞いてみようと、県企業庁藤沢水道営業所を訪ねました。ベテランのY課長さんとK課長さんからとても丁寧に説明していただきました。今回はそれをお伝えし、Reporter S が後から調べたことも追加して、あわせて感想を記します。ちょっとブラタモリ風になりました。

三井不動産 片瀬山パンフレット 昭和44年発行 冒頭の写真の一部 中央に給水塔が鎮座している

給水塔(三丁目)って何をしてるのですか?
ーーYさん 給水塔や給水タンクといわれるのは正式には「腰越配水池」といいます。片瀬山周辺地域に水道水を供給しており、容量は2170㎥、一日あたり約1300㎥の水を片瀬山を中心に約1800戸の担当範囲に供給する能力を持っています。
その水はどこから来るのかというと、多くは寒川浄水場(相模川)から来るのですが、一部綾瀬浄水場(これも相模川)、宮ケ瀬ダムの水も混ざり、藤沢稲荷・鎌倉城廻配水池などを経由して、最後に揚水ポンプで持ち上げて腰越配水池に貯水しています。
S: 水道水はそんなに長い旅をしてくるのですね。宮ケ瀬って、もう県の西部ですね。

現在の腰越配水池 今日もお世話になってます 東公園からの姿

何を目的にできたのでしょうか?
ーーYさん 大きな目的は高台である片瀬山に水道水を供給するためです。
高いところに水を届けるには、ポンプで直接加圧して水を配るか、高い所に配水池を置いてそこから水を配るという方法があります。昭和41年(1966年)頃に周辺の丘陵地帯で住宅地の開発が多数行われました。

水需要の急増、それも高台に水を届ける必要があって、この腰越配水池、七里ガ浜、鎌倉城廻等の配水池がほぼ同時期に作られました。これらは住宅地開発にあたった企業が費用負担したり作ったりして、水道局に引き渡された例が多く、腰越もそうした施設だったそうです。
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S早速、当時の航空写真を調べてみました。昭和40年から片瀬山の造成と並行して基礎工事が行われ、昭和41年夏には白い本体の姿がわかります。水道局の方がおっしゃった通りの展開だったのですね。1日分より少し多くしか水を貯めることができないということも意外でしたが、貯蔵より高所への配水が目的だったということを考えれば納得です。

上:昭和41年の造成中の片瀬山 江の島ゴルフ場のコースの一部・江の島ホテルの建物が残っている
下左:昭和40年の給水塔付近 基礎部分を作っている
下右:昭和41年の給水塔付近 給水塔の本体ができている  いずれも国土地理院航空写真

高い所に水を届けるためにこの施設ができたんですね。
ーーYさん はい。実は今の片瀬山1丁目に片瀬配水池が昭和31年からあり、片瀬地域に給水していました。ただ片瀬山全体に水を届けるにはその高さが不足していたのです。それで新たな配水池としてより高い所に腰越配水池が必要になったわけです。
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S:古い地図を調べてみました。昭和29年当時の地図(片瀬山造成前)には片瀬配水池のところは標高70mであり、これでは片瀬山住宅地全体に給水するには不足だったのでしょう。そこで当時片瀬山周辺の最高標高の所(83.7m)に腰越配水池を作ることになったと思われます。どちらも付近の最高地点です。水を届けるために先人が地図を見ながらいろいろ考えていたことが追体験できます。

腰越配水池も片瀬配水池もどちらも付近の最高地点に設置されたことがわかります

相当昔に断水があった記憶がありますが
ーーKさん 1986年(昭和61年)3月23日に着雪した送電線に強風が吹き付けて、相模川をまたぐ高圧線を支える大きな鉄塔が倒れて寒川浄水場への電源供給が絶たれました。そのため神奈川県下の広い範囲で(片瀬山も)数日間断水しました。このあたりはなかなか水が来ませんでした。この断水をきっかけに、主な配水池には複数の水源から水を届けるようにしました。さらに寒川浄水場では自家発電設備を導入しました。それが役に立ったのは東日本大震災の時で、計画停電区域に入りながら、停電による断水は防ぐことができました。水道局のメンバーは被災地の応援に行きました。
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S:それで宮ケ瀬ダムの水も混ざっているのですね。さらに、自家発電で断水しないようになっていたとは、教訓が生きたのですね。大きな災害が起きると、インフラをやっている全国の方々が被災地応援に駆けつけるのを見聞きして、こうした皆さんが社会を支えてくれているんだなあといつも思います。
腰越配水池はもう50年以上経っていて、大地震が起きても大丈夫なのでしょうか?
ーーYさん 平成20年3月に耐震基準が見直され、それに合わせて耐震診断を改めておこなったところ、クリアしている事が確認されました。心配ありません。
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S:ちょっと調べました。平成20年に「水道施設の技術的基準を定める省令」が改正され、「過去から将来にわたって当該地点で考えられる最大規模の強さを有する地震動において、その施設に生ずる損傷が軽微であって、機能に重大な影響を及ぼさないこと」となり、これをクリアしている事が確認されたということだと思います。
次回は1丁目にある「片瀬配水池」についてです。(5月7日配信予定)

◆◆◆◆【始まりを探して】シリーズコンセプト
片瀬山ができて50年以上たちました。長い間に少しずつ整備されてきた施設・モノ(ハード)や仕組み・制度・活動(ソフト)等の始まりの時に、どんなことがあったのか、どんな思いがあったのか?今に残るモノ、資料、証言などを調べて伝えることで、その価値や将来について考えるシリーズにしたいと思います。ご期待ください。
【本シリーズからのお願い】片瀬山に関係する古い写真や資料をお持ちの方はお知らせください。例:片瀬山のパンフレット、周囲の様子がわかるスナップ写真、学校・幼稚園・プール・公園等の写真、バス等公共機関等の写真、当時の新聞記事、自治会の資料、卒業アルバム等古いものであればあるほどありがたいです。皆様のご協力をお願いいたします。
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