パンフレットに描かれた街に第一世代の人々は夢を託した
三井不動産が宅地造成に進出した理由
三井不動産は戦後は臨海部の工業用地の造成、霞が関ビル等のビル建設・賃貸事業など、日本経済の復興とともに事業を拡大した会社でした。また、昭和30年代後半から住宅地の造成販売に乗り出していました。
この背景には戦後の高度成長に合わせて、農村から都会に出てきた人達が核家族となり、総世帯数が終戦時1400万世帯→昭和43年2400万と激増したことがあります。
そういう人たちが都市近郊に自宅を持ちたいと願った時、その住宅需要は莫大であり、その中所得層を顧客にするというのが三井不動産の戦略でした。そんな中、三井不動産は湘南地域で最高の場所を手に入れます。
眺望と立地のすばらしい場所
パンフレットで「見にいってみよう」と思わせたであろう写真を再録します。
(高解像度で全ページを見られるようにしてあります。よくご覧になりたい方はそちらでご確認下さい。→高解像度でパンフレット全ページを見る)
今と比較してみます。同じ高度角度からのGoogleEarthからの画像です。
三井不動産がこの眺望を手にするまで
この場所を三井不動産はどうやって手にしたのでしょうか?
戦後、佐藤和三郎さんという方が今の片瀬山住宅地の場所を買収・整地して「江之島ゴルフコース」をオープンしたのが昭和30年4月(1955年)の事です。ここは江の島を一望しながら回れるコースが売りで、クラブハウス代わりに「江の島ホテル」が今の5丁目にありました。ちなみに佐藤和三郎さんという方は元々は株の相場師で獅子文六の「大番」という小説のモデルとなり、このゴルフ場の話も出ています(映画化もされた)。しかしゴルフ場としての利益はわずかで、結局昭和38年(1963年)丹沢善利さんという方の会社に売却します。丹沢善利さんという人は船橋ヘルスセンター(ある年齢以上の方はご存じ)の創業者で、いろいろある方だったのですが、東京ディズニーランドの生みの親の一人としても有名な方です。
ゴルフ場はそれからほどなく閉鎖され、この人経由で片瀬山の土地は三井不動産の手に入る事になりました。(ゴルフ場の事は別途記事化予定)。そして片瀬山住宅地は昭和42年(1967年)7月販売広告が開始され、12月第1期完工ということでその後昭和46年(1971年)頃まで販売が続けられました。
購入希望者が殺到
1すばらしい眺望の土地に、2必要な環境整備にコストをかけ、3欧米流の都市デザインにならい、計画を明示する形で中所得層のニーズに答える事ができた! という三井不動産の意気込みがパンフレットに表現されています(→前回記事)(→片瀬山住宅地造成の頃1)。その狙いは的中し「申し込みが殺到して困るくらいであり、広告の仕方についても特別の工夫をしている」と先の本で紹介されています。
販売現場の証言:1週間並ぶー抽選での購入等
今では考えられない販売状況だった様子が、令和2年のわかやぎ会会報12号(当ホームページのわかやぎ会ページに収録)に、初期に入居した方たちの証言として残っています。当時いかにこの場所が人気だったかわかります。
この時期三井不動産の屋台骨だった
この時点での宅地造成部門の販売予定金額の半分約60億円程度が片瀬山で、昭和43年の三井不動産の全売上高が年間約300億円だったのを考えると、いかに大きなプロジェクトだったかがわかります。
街づくりの計画はほぼ実現した
パンフレットに掲げられた3つ目の街づくりのマスタープランはその後どの程度実現したのでしょうか?
・公園はほぼ予定通り実現しました。
・スーパー等商業・公的施設も最低限のものが少し場所が変わりましたが実現しました(スーパーやまか、片瀬山市民の家、住友銀行(その後三井住友銀行~2019年以降ATM))。
・プールも場所を移して実現しました(1980年代に閉鎖→避難物資置き場)。
・幼稚園は2か所予定していましたが、1か所実現しました(昭和47年(1972)開園~平成29年(2017)閉園)。
・都市計画道路は住民にも賛否があり、現時点でもまだ実現していません。地下化する予定で現在も少しずつ準備が進んでいる様子です。
これらの具体的な場所は下記のようになりました。
入手したパンフレットと実際の様子を考えると、高度成長期を支えた猛烈サラリーマンたちの子育て・休息の街として求められた街を、見事に実現したものだとよくわかります。
住民の方になぜ片瀬山を選びましたか?という最近のアンケートでも、眺望・立地、閑静・道幅、公園の多さ等が不動の上位になっており、この街づくりの質実剛健なコンセプトがいかに時代を超えて受け入れられているかわかります。このパンフレットを見て購入を決めた第一世代の方たちが、「住環境」という言葉にこだわるのもよくわかります。
昭和の時代から時は流れましたが、これからの時代に街に求められるものは何なのか?変わらないものは何なのか、皆さんが考える一助になれば幸いです。
謝辞及び参考資料
パンフレット:ご提供いただいたSさんに感謝申し上げます。
主要参考資料:「21世紀をつくる 会社小史 三井不動産」:東洋経済新報社1968年
「実業の世界 1963年10月号」:実業の世界社1963年
「経済展望 1972年12月号」:経済展望社1972年 いずれも国立国会図書館デジタル閲覧可
その他リンク先資料(水色太字)、写真等は出典を表示しています。
(Reported By S)