【MINI取材】片瀬諏訪神社鎮座1300年

諏訪大社から分霊された全国の諏訪神社の第1号 その鎮座1300年祭

片瀬諏訪神社には初詣、お宮参り、七五三、厄払い・・何かとお参りに行く方も多いと思います。夏祭り(例大祭)については以前にもお伝えしましたが(2022年,2023年)、今年はそれとは別に10月22日に1300年奉祝祭が行われました。その様子をお伝えします。また、その1300年の歴史に少し触れてみたいと思います。

チラシの写真です 公式インスタグラムから
12時 町内囃子屋台神社集合
13時 下社で神事(神輿御霊入)
14-15時神輿奉昇 HPはこちら

鳥居の外から。中央にお神輿です。
諏訪神社が鎌倉時代に北条氏等武家の信仰により全国に分霊が行われた事が記された説明

左手に各町内の「囃子屋台」が勢ぞろいして、そこで太鼓と笛と鉦でお囃子を鳴らしている男女は中高生くらいの子たちです。

左手は手前から下之谷、東り町、西浜、西方、新屋敷の片瀬五町の囃子屋台です

お囃子の中、威勢のよい「さぁ!」という掛け声に「さぁ!」と応えて神輿が担がれます。神輿とその上の金色の鳳凰が揺れて素晴らしい秋晴れの空にきらきらと輝きます。動画は諏訪神社公式ツイッターでこちら

青空に輝くお神輿

片瀬地区の皆で一緒に盛り上がる一日でした。お囃子の子たちも神輿を担ぐ若手も周囲でビール片手に見ているベテラン衆もみんなおそろいの半纏を着てかっこいい。お母さんやおばあちゃんについてやってきた小さい子供達も半纏を着ていて可愛いです。
一方で、下社本殿の方は静かなもので、数人の人が熱心にお参りしている様子でした。

下社本殿では・・

片瀬諏訪神社の由来について、1983 年刊行の藤沢市文書館発行 の「わがまちのあゆみ」(児玉幸多 編著)によれば、養老三年(723年) 信濃諏訪大社より他郷への最古の御分霊社として勘請された。とあるように全国に数多い諏訪神社の第一号と記されています。
下社から少し離れた上社にも足を伸ばしてみました。とても静かなお社でした。お社に登る入口には由緒が記された碑があり、「五千を数える諏訪神社で上下両社を備えるのは諏訪大社以外はここの諏訪神社のみ」と記されています。

上社の入口にある由緒を記した石碑

片瀬出身の藤沢市元教育長中村喬先生の「片瀬の今と昔」(片瀬市民センター)によれば戦前、お祭りは上社が中心でとても賑わったのだそうです。

坂道を登って上社から下社の森を見た所 雲がなければ富士山が見える 下社からはお囃子がよく聞こえてきました。海には えぼし岩が見えます。
1300年祭というのにとても静かな諏訪神社上社

「わがまちのあゆみ」「由緒の碑」いずれも、弘仁三年(812年)下社は宮畑より鯨骨湖畔に、上社は天長三年(826年)に諏訪ヶ谷より浪合に移された。そののち再建・・とあります。「再建」というのは元弘3年(1333)、新田義貞の鎌倉攻めで焼失したからだそうです。
下社が最初に鎮座した宮畑というのは別の記事(津波の跡発見)でご紹介した片瀬山の大坂を下りて右にある馬喰橋のあたりです。今、下社がある所は鯨骨(くじらっぽねと発音)、上社のある所は浪合(なみあい)という小字です。
上社には大正の関東大震災の震災記念碑があります。

上社にある大震災記念碑(おもて面)

日本地名研究所編「藤沢の地名」(藤沢市)によれば「下諏訪神社の前面の神池(諏訪湖)という大きな池にはむかし大津波に乗って川を遡った鯨がこの池に打ち上げられたという伝承があり、それが鯨骨という小字・・」「浪合という地名は、かつて大津波が岩屋不動尊のあたりで片瀬川の流れとぶつかり、浪が合わさったところという意味・・」というわけで、諏訪神社にかかわる地名はいずれも津波と関係する事がわかります。そうした伝承が震災記念碑の建立に影響したのかもしれません。記念碑の裏面には碑文が記され(概要)、詳細は以下のような内容です。片瀬の歴史は津波との闘いだった事がよくわかりました。参考資料は文中に記しました。
(Reported By S)