片瀬山の中を通っていた「片瀬通り」
藤沢市総合図書館が毎年発行している一般向けの郷土歴史解説集「わが住む里」第69号(2020年)に、「道は消えても歴史は残れるか」という一文が掲載されています。坂間範高(のりたか)さんという郷土史家の方が書かれたものです。この文章は片瀬山の北にある「川名通り町」と片瀬山の南西にある「片瀬東リ町」を結んでかつてあった「片瀬通り」という山道の存在を調べたものです。
この片瀬山を横切る道が古代から片瀬と川名・手広をつなぐ生活道路であり、さらに海の町片瀬にとって山の恵みを与えてくれる入会地片瀬山に入る貴重な道だったと推定しています。今回その道が近世どのような変遷をたどったかを地図や写真で調べてみました。また次回は現存している部分を歩いて、今に残る様子をお伝えして、古道を歩いた人達をしのびたいと思います。
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その道はどこを通っていたのでしょうか?
戦前はまだこの道が使われていたので、明治20年測量の地形図から見てみます。今回取り上げる川名ー片瀬山ー片瀬(密蔵寺)の道、手廣ー片瀬山の道など片瀬山を通る山道は地図上に点線で示されているのでそれをオレンジ色で上書きしました。また当時の平地の太い道は同様に薄い緑色で示しました。また集落の位置をわかりやすく示す場所として江戸時代からあるお寺を卍で示しました。
江戸時代片瀬山には幕府の大筒(大砲)演習場の発射場所がありました(片瀬山に鉄砲場があった頃その1、その2)。それは現1丁目山上の平地にあり、ここも先ほどの道の枝分かれ先にありました。地図を見るとわかるのですが、山道はいずれも尾根道となっていることがわかります。今の三丁目の給水塔あたりを通っているので、さぞかし景色が素晴らしかったと思います。
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次に、先ほどの道の図を今の地形図に重ねてみましょう。これで過去の道が今のどこを通っているかがわかります。川名に「通り町」という地名があることは今の地図にもはっきり示されています。この地図には示されていませんが、密蔵寺のあたりは片瀬の東り町です。道の南北両端に「とおり」と発音する地名があったことが分かります。
川名から出て東レ基礎研の横の尾根道を経て片瀬山2丁目に至る道は今でも残っていることがわかります。片瀬山2丁目からは片瀬山住宅地のへりを通って現給水塔の所まで行き、そこからは今の5丁目の端まではまっすぐに向かっており、そこから密蔵寺に降りる道(現存している)を通っていました。今の給水塔から分かれて現西鎌倉住宅地を通って青蓮寺(鎖大師)に抜ける道もありましたがこれは残っていません。余談ですがこの2枚の地図を比較すると境川の流路が今とずいぶん違う事がわかります。今のヤオコーのあたりで境川が大きく屈曲していたものが1910年(明治43年)頃に河川改修されて現在の流路に近くなったらしいです。
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さて、時計の針を戻して次の写真は昭和21年2月終戦半年後の米軍撮影の航空写真です。戦前の片瀬山の様子が想像できる写真です。
住宅地はもちろん、その前にあったゴルフ場もまだできていなくて、明治時代の道がそのままだったと思われます。その道が尾根筋を通っているらしいことは写真からも分かります。今の片瀬山住宅地の場所は谷戸と山が入り組んだ場所だったようですね。藤沢駅方面と江の島を結ぶ新道(昔は片瀬県道と言ってました。現国道467号線)もすでにできています。
そして、次はいよいよ片瀬山住宅地のもとの姿である江之島ゴルフコース(→記事その1、その2)ができてからの航空写真です。川名からの道は以前からの通りだろう事がわかりますが、東レ基礎研がすでに1962年にできていて、そこを通る山道はなくなっています。同様に西鎌倉住宅地内を通る道も西鎌倉住宅地の開発工事が始まってこの時点で失われています。一方で江之島ゴルフコースはもともとの起伏を使って作ったものなので、コース内を歩く道はかつての古道を踏襲して尾根筋に作られたことがわかります。片瀬密蔵寺に降りる道の近くには江之島ホテルが建っていました。
そして現在の衛星写真です。かつての道の対比を見てみましょう。片瀬山二丁目と川名(通り町)を結ぶ山道は今も健在で、川名へいく途中に川名清水谷戸に寄ることができます。
そして、かつての片瀬山の最高標高地点付近である現給水塔(腰越配水池)付近が川名方面ー手広方面ー片瀬方面への分岐地点になっていたことが分かります。
片瀬の集落の歴史は古く(諏訪神社1300年)、手広の鎖大師も弘法大師ゆかりの寺であり、村岡・川名も平安後期の頃からの歴史が知られています。明治まで、そして戦前までは川名・手広・片瀬をむすぶ山道はそれほどきついものではないので、こうした集落の間を行きかう道としてこれらの道は古くからよく使われていたのではないかと先ほどの文は推定しています。次回は実際にこの道を歩いてみて当時をしのんでみたいと思います。