【はじまりを探して】片瀬山販売パンフレット見つかる-その3

前回の記事の後、見つかった第1期パンフレットが驚きの内容だった

驚きの申し出、驚きの内容
前回の「片瀬山販売パンフレット見つかるその1その2」の記事は片瀬山住宅地第3期分譲の頃のパンフレットとその背景にあった当時の時代背景や三井不動産の考え方を中心にお伝えしました。ところが記事掲載後、「実は第1期、第3期、最終期のパンフレットを保管しています」と申し出て下さった方がおられました。第1期入居のIさんで、お父様がその後も現地事務所で販売会の際に入手しておられたとの事で、貴重な資料をご提供いただく事ができました。さらに驚いたのはパンフレットの内容が各期によって大きく異なっていた事です。今回はその変遷を追ってみたいと思います。
今回も高解像度で全ページを見られるようにしてありますので、詳しくご覧になりたい方はそちらでご確認下さい。第1期はデータ量が多く、前半と後半に分けています。(→高解像度版第1期パンフレット前半 同後半)。最終期は回を改めて記事の準備をしています。
第1期 昭和42年7月(1967年)パンフレット熱量が伝わる何と26ページ
前回ご紹介したパンフレットとコンセプトは近いながら、具体的な内容は多くが異なった内容となっています。

第1期の表紙 いつもの片瀬山のロゴが使われています
裏表紙はシンプルそのもの

・なんと見開きに社長ご挨拶 以降もコンセプトに忠実な説明
三井グループ中興の祖 江戸英雄さんのご挨拶です。江戸さんは片瀬山の土地の入手に一番かかわったと思われる方です。前回記事で三井不動産の開発コンセプトをお伝えしましたが、そのエッセンスを記した文章です。この片瀬山住宅地の実現に、江戸社長の寄せる想いがいかに強かったがわかります。

そして、次に来るのが会社のビジョンから説き起こし、新聞広告にも出てきた霞ケ関ビルから始まる、目指すゴールは「建物や土地造成」ではなく、「街づくり」であるという考え方です。(造成の頃その1

次のページ、交通機関説明の中に湘南モノレールが登場しています。そしてページの右側はトレース紙に片瀬山の造成地域と周辺地名が描いてあり、透けて見える航空写真の説明になっています。

見開き左側は交通機関説明 小田急、国鉄、第3京浜国道、国道1号線があげられていて、自家用車の利用も重要視していた事が分かります。湘南モノレールの部分を下記に拡大

・第1期パンフレットだけに掲載されていたもの モノレール予定線、江之島観光ホテル、立体交差

上のページの交通機関説明図の拡大 片瀬終点駅の場所の二転三転の事情は湘南モノレールのHP内にある下記の記事リンクへ 「ようやく決まった終点駅の位置」

この交通図では、湘南モノレール予定線は、片瀬地区では洲鼻通りの上空を通り海岸近くまで伸びる予定になっています。このパンフレットの作られた1967年時点では、そうだったのです。しかし、片瀬での予定が二転三転した事から、何とこの後のパンフレットから湘南モノレールの予定線の記述は削除されてしまいました。復活したのは最終期の時で、西鎌倉まで開通していましたが、片瀬山駅含めて江の島までの駅は記されていません。
そして、右側のトレース紙をめくると造成中の航空写真が登場します。

1967年(昭和42年)の早春のころの撮影? 今の市民会館の所にあった片瀬中学はこの頃片瀬山に移転しましたが、この写真の撮影時点では新屋敷橋の姿もありません。藤沢駅周辺の商業ビルもまだ名店ビルのみです。この写真は東急ドエル(藤沢地区最初のマンション)の広告にも使われました

街づくりに行政と協力した様子を詳しく記したのが次のページです。市当局との交渉の中で、片瀬中学敷地や道路、橋上下水道の整備等に不動産会社が相当の協力をするのが条件だった事が推察される文章です。その後の大規模開発ではそうしたやり取りが当たり前になりました。下水道についてはこうした理由で藤沢市南部が合流式なのに、片瀬山は先進的な分流方式(雨水と汚水を完全に分ける)になっています。(→下水はどこに流れていくのか)

片瀬中学校内のアプローチはまだできていませんでした。雨が降ったら大変だったでしょうね

そして驚いたのが、次の絵です。大坂の上に立体交差で道が通っています。これはいわゆる都市計画道路(1,2丁目を通って海岸まで通る予定だったもの)ではなく、5丁目と1丁目の間を結ぶ住宅地内道路が立体交差で通る予定だったのです。(マスタープランのページ参照)

大阪(進入道路)の下から上の片瀬中学方向を見た想像図

驚くことに、ここまでのほとんどのページが削除されたり差し替えられたりしてその後は使われていません。そして次のマスタープランの図からはその後、変更や合体がされながら登場します。

第1期販売区画がオレンジ色で示されています
第1期パンフレットにのみ登場する江之島観光ホテルの痕跡です。

このマスタープランの図の右下、現在白百合学園のすぐ北に当たる5丁目26のあたりに旧江之島観光ホテルの建物が残っており、そこが三井不動産の当時の開発事務所になっていた事がわかります。第1期販売の受付はそこで行われました。先ほどの航空写真にも建物が写っています。

・マスタープランと造成についての丁寧な説明
そして様々な視点でマスタープランを詳しく説明する図が8ページ続きます。これも以降はまとめられます。

マスタープラン 道路の幅の説明図
マスタープラン 緑地の配置
マスタープラン 土地の高度(等高線) 南西に緩やかに傾く土地造成で眺望がすばらしい事を説明
マスタープラン 上下水道や電柱配置の説明
造成に関する説明1 これは後のパンフレットにも簡略化されて残ります
造成に関する説明2 同上
交通費 教育機関の説明 
近隣施設の写真とローンの説明 

全体を通して 
この素晴らしい街の事をわかってもらいたいという熱量を強く感じます。
そして、全体にハードウェア的な説明が多いです。当時ずさんな工事で問題になっていた開発事業が多かった中で、価格的に高くてもその工事品質や先を見越した住環境の質が圧倒的である事を伝えようとしたものと思います。後になってからのパンフレットでは、この街でどんな生活が想像されるのか?というイメージ写真も載るようになるのですが、第1期では全くそんな気配もありません。少しおいて、次回は様変わりした最終期のパンフレットのご紹介を予定しています。(Reported By S)